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この頁は、Zeppelinの軌跡を集成したものです。
あなたは
 人目の流浪の民です。
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Summary
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1968年、Jimmy Page(g),Robert Plant(vo),John Bonham(dr),John Pall Jones(b)により結成。ジミー・ペイジの構想に基づき、当初ニュー・ヤードバーズと名乗っていたが、、1968年10月、リバプールで行った最後の公演を最後にLed Zeppelinと改名した。発案者は一説によればフーのキース・ムーンであるらしい。同年、アトランティック・レコードと契約、12月に1stアルバムを発表した。古いブルースの影響が濃く、アドリブの比重が高い。重く畳み込むドラムスや絶叫型のボーカルスタイルは、後のハードロックに相当の影響を与えたものの追随を許していない。
また、ジミー・ペイジは、同じくヤード・バーズに在籍していたジェフ・ベックや、ディープ・パープルのリッチー・ブラックモアらと並び、ギター・キッズの象徴的存在となった。グッドタイムズ・バッドタイムズに見られるペンタトニック・スケールを駆け下りるだけの単純明快なソロパートを含め、彼らの楽曲を教材にした連中は数知れないだろう。アメリカの某映画では、楽器屋に「天国への階段禁止」という貼り紙があり、これがギャグとして通用するほどなのである。この1stアルバムから翌1969年に発表された2ndまでは典型的なブルース系のハードロック・スタイルであった。1970年の3rdではブリティシュ・トラッドが全面に押し出され、以降5thの聖なる館、House of hollyまで、ハードロックとアコースティックが同居したスタイルは続く。2ndには「胸いっぱいの愛を」、3rdには「移民の歌」、「貴方を愛しつづけて」、4thには、「ブラックドッグ」、「ロックンロール」、「天国への階段」、5thには「永遠の歌」と彼らの評価を決定付ける重要な楽曲が並ぶ。5th(写真1)ではジョンポールジョーンズのメロトロン等が前面に打ち出され、また、ヴォーカルマイクをイコラーザーに通したりと実験的試みがみられる上、能天気なレゲェまで登場する。1975年、独自のレーベル、スワンソングを設立し、2枚組みアルバムフィジカル・グラフィティー(写真2)を制作。よりストレートでよりヘビーなハードロック・スタイルを確立した。ディレイを抑制しより深いディストーションで厚みを増したギター、そして、そのリフが新たなハードロックの起点を象徴しているかのようである。また、「イン・ザ・ライト」に見られるインド音階の導入を含め、中近東付近の民族音楽にまで至る幅広いバックグラウンドを見せ付けた。「カシミール」はその極みであった。そして、1976年4月に発表したプレゼンス(写真3)は、彼らの名前を完全に永遠のものとした。ドラマチックな「アキレス最後の戦い」、渋さが際立つ「一人でお茶を」に挟まれたシンプルかつヘビーなリフによる音の塊の存在感は当時としては驚異的なものであったのである。その後、1976年10月にライヴ・アルバム「永遠の歌」、1979年8月にイン・スルー・ジ・アウト・ドアを発表したが、1979年9月25日、ジョンボーナムが急死、翌年12月に解散した。解散後の1998年12月「最終楽章」が発売された。また、ごく最近になって、未発表ライヴアルバムなどが発売されている。
ところで、遅くとも1980年代初期までの間Jimmy Pageは、永遠の歌の神秘的映像と現在に比較して取材が行き届いていない時代における渋谷陽一氏による思い入れたっぷりの報道により(笑)格別に神格化された孤高の存在であった。彼はソロ活動の間、取り分け際立ったアルバムを制作しなかったせいか一時的に、ファンからはもう駄目かと思われつつあったが、その後、ポール・ロジャースとファームを結成し見事にシングルヒットを飛ばした。レディオ・アクティブである。再び、ギター・キッズは、ネックを握り締め完全に弦をミュートして、「カシャ、カシャ、カシャ、カシャ」とギターをかき鳴らし、ストリングス・ベンダーの図解をギター・マガジン誌やプレイヤー誌で眺め、その秘密に満足したが、しかし、これも長続きはしなかった。しかし、この頃から、テレビを通じて活字ではなく耳でインタビューに接することが出来るようになったのである。その後、カヴァーデイル・ペイジを経てペイジ・プラントがMTVのアンプラグド企画で活動を始めると、いよいよ我々日本のファンは彼の素顔に接することができたのである。彼は、実に軽いオヤジであったのだ。パーティーの残り物をビニール袋に詰めて持って帰るらしい(exロッキン・オン1980.2)という噂も少々肯けた。1998年ペイジ・プラントの2nd、Walking into Clarksdaleが発売されたが、完全復活の呼び声も空しく、ファンの待ち望む音と彼らの創り出す音との溝は深まる一方である・・・かのようである。
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〜1964
- Led Zeppelinの胎動 -
1945年1月5日、ミドルセックスにジェームズ・パトリック・ペイジが生まれる(注1)。1946年1月3日、ケントにジョン・ポール・ジョーンズ(本名:ジョン・ボールドウィン)が生まれる。1948年5月31日、ワーチェスターにジョン・ヘンリー・ボーナムが、8月20日、同じくワーチェスターにロバート・アンソニー・プラントが生まれる。
(注1) ジミー・ページの誕生日については、James Patrick Page : Session Manのライナーには上記のとおり記され、一方、Haruo Miyake氏著の軌跡には、1944年1月9日と記されている。
ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツのロック・アラウンド・ザ・クロックが1955年に大ヒットし、以降、イギリスではロックン・ロールが大流行、1960年代前半はブルース・ブームの真っ只中であった。ツェッペリンの各メンバーとも、当時のシーンの影響を相当に受けて育っている。
ジミー・ペイジは、母親のパトリシアからギターを贈られ1957年頃には既にマスターしていたといわれている。1962年、アートスクールに通う傍ら、ニール・クリスチャン&クルセイダーズに加入しツアーに出かけたが、健康を害して入院の後、バンドを脱退してアートスクールに戻っている。ニール・クリスチャン&クルセイダーズの前座を務めるバンドにジェフ・ベックが加入していたので、この頃、ジミー・ペイジはジェフ・ベックと出会っている。ジミー・ペイジは、アートスクールで絵画を勉強する傍ら数々のセッションをこなしていたが、音楽のことが頭から離れず進路について常に葛藤していた。そして、遂に1963年、退学してしまう。当時のセッションは、James Patrick Page : Session Man / Vol.1 & 2で聴くことができる。
James Patrick Page : Session Man / Vol.1
1.Don't you dig this kinda beat/chris Ravel & The Ravers(1963.8)
2.Sweet little baby/The Zephyrs(1963.8)
3.Roll over Beethoven/Pat Wayne & The Beachcombers(1963.12)
4.Somebody told my girl/Carter-Lewis & The Southerners(1963.10)
5.My baby left me/Dave Berry & The Cruisers(1964.1)
6.Once in a while/The Brook(1964.3)
7.Money honey-That's airight/Mickle Most & The Gear(1964.3)
8.I just can't go to sleep/The Sneekers(1964.10)
9.A certain girl-Leave my kitten alone/First Gear(1964.10)
10.How do you feel/The Primitives(1965.1)
11.Zoom,widge and wag/Babbie Graham(1965.1)
12.She just satisfies-Keep movin'/Jimmy Page(1965.2)
13.Night comes down/Mickey Finn(1965.3)
14.Little by little/The Pickwicks(1965.10)
15.Surprise,surprise/Luli & The Luvvers(1965.4)
16.Little games/The Yardbirds(1967.4)
17.Most likely you'll go your way/The Yardbirds(1967.4)
18.Dazed and confused/Jake Holmes(1967)
James Patrick Page : Session Man / Vol.2
1.Bald headed woman/The Sneekers(1964.10)
2.See you later,alligator/Wayne Gibson-Dynamic Sound(1964.8)
3.I can tell/The Zephyrs(1963.8)
4.Castin' my spell/The Talismen(1965.4)
5.The feminine look/Mickie Most-Most Bros.(1963.5)
6.I'll go crazy/The Untamed(1964.5)
7.Talki 'bout you/The Redcaps(1963.11)
8.Honey hush(1964.5),Ilike it(1966.4)/Christian's Crusaders
9.This sporting life/Mickey Finn(1963.3)
10.Baby I go for you/The Blue Ronds(1964.11)
11.I'll come running/Lulu & The Luvvers(1964.11)
12.Is it true?/Brenda Lee(1964.10)
13.I took my baby home/The Pickwicks(1965.1)
14.The world keeps going round/The Lancastrains(1966.1)
15.Masters of war/The Talismen(1965.4)
16.You said/The Primitives(1965.1)
17.The train kept a-rollin'/The Scotty McKay Quintet(1968)
18.Everybody knows/Sean Buckley-Breadcrumbs(1963.5)
19.Notin' shakin'/Billy Fury(1964.5)
20.White summer/The New Yardbirds(live in Marquee club 1968.10.18)
これらのアルバムで聴くことができる音は、ポピュラーなところに喩えるならば、大昔のストーンズやビートルズなどのように一発録りのスカスカの生音による、臭いくらいストレートなロックンロールである。録音の年代が1963年から1968年までにわたる上にヤードバーズの音源も収められているので、これを聴くと、ツェッペリン結成に至る当時の音をコンパクトに把握できるのではないかと思う。
さて、1963年、ロバート・プラントは、デルタ・ブルース・バンドを結成、ジョン・ポール・ジョーンズは、ジェット・ハリス&トニー・ミーハン・バンドに加入、1964年、ロバート・プラントは、クロウリング・キング・スネイクスに、ジョン・ボーナムはテリー・ウェップ&スパイダースに加入している。
1965〜1967
- Yardbirdsの時代 -
1965年2月、ジミー・ペイジが初のソロ・レコーディングを行う。曲目は、She just satisfiesとKeep movin'(上記Session Man / Vol.1に収録されている。)。ドラムス以外を全てジミー・ペイジが担当。ヴォーカルとハーモニカまで披露している。当時、ジミー・ペイジはエリック・クラプトンの後任としてヤード・バーズの加入を勧誘されていたが、セッションで多忙なことを理由に誘いを断り、トライデンツに加入していたジェフ・ベックを推薦した。4月ころのことである。その後、クラプトンやジェフ・ベックの活躍を横目に見ながら、セッション・マンに嫌気が差してきたころ、ヤードバーズのポール・サミュエル・スミス(b)が突然脱退し、ジミー・ペイジはこの後任、即ちベーシストとして1966年6月、ヤードバーズに加入した。
さて、1965年頃、ロバート・プラントはバンド・オブ・ジョイを結成、ジョン・ボーナムは、パット・フィリップスと結婚、バンドの方は、ア・ウエイ・オブ・ライフとクロウリング・キング・スネイクとを行ったり来たりしていた。
ヤードバーズは、1966年8月からアメリカ・ツアーを行い、9月にはローリング・ストーンズのイギリス・ツアーの前座を務めた。ジミー・ペイジ加入後間もなくリズム・ギター担当のクリス・ドレヤがベースに配置換え、ジミー・ペイジとジェフ・ベックがツイン・リードとなった。ツイン・リードは当時は非常に革新的な配置だったということだ。そして、ヤード・バーズはフーの代わりに映画「欲望」に出演、サントラでストロール・オン(トレイン・ケプト・ア・ローリンの改作)を演奏「幻の10年」も録音した。10月にヤードバーズはアメリカ・ツアーを始めたがジェフ・ベックが病気で倒れ11月に脱退、名実ともにジミー・ペイジはヤードバーズのリーダーとなった。
さて、1966年にはバンド・オブ・ジョイにジョン・ボーナムが加入している。これは、ロバート・プラントの誘いによるものである。しかし、バンド・オブ・ジョイはそう長続きすることは無く解散し、ジョンとロバートも別れている。
1968年8月、セッション・マンを続けていたジョン・ポール・ジョーンズは、ドノヴァンやストーンズのセッションに参加し一躍有名になる。
1968年
- Led Zeppelinの誕生 -
6月、ヤードバーズはアメリカのフェアウエル公演を終え、7月ルートン工業大学のライヴを終えて解散した。この直前、既にニュー・ヤードバーズの構想を描いていたジミー・ペイジは、ドノヴァンのハーディ・ガーディ・マンのセッションで知り合っていたジョン・ポール・ジョーンズに加入を要請していた。ジョン・ポール・ジョーンズもセッションの仕事に嫌気が差し自己表現の場を求めていた時期であった。ヴォーカルは当初テリー・リードを予定していたが契約の関係で断念、テリーの推薦でロバート・プラントが加入することとなった。ロバートが30人足らずの客の前で演奏するショーを見に行ったジミー・ペイジはロバート・プラントの個性と可能性を見据えてすぐに加入を認めたということである。プロコルハルムのB・J・ウイルソンにドラムスを断わられた後、ロバート・プラントの推薦でジョン・ボーナムのプレイを見に行った。ジョン・ボーナムは当初加入を渋りながらも結局加入した。このようにして、1968年6月から7月にかけて、ジョン・ポール・ジョーンズ、ロバート・プラント、ジョン・ボーナムがニューヤードバーズに加入した。
ニュー・ヤードバーズの初ライヴはデンマークで10月始めに行われ、その後スカンジナビアのツアーに出発した。ニュー・ヤードバーズの名称に違和感を覚えていた4名は、新しいグループの名前に考えを巡らせていたところ、フーのキース・ムーンが「Led Zeppelin」はどうかと言ってきたということだ。ツェッペリンは、1899年に飛行船を発明した伯爵の名前であり、「鉛の飛行船のように落ちる」という洒落が当時イギリスにはあったのだそうだ。意味は不明である。そして、1968年10月20日前後であると思われるが、ニュー・ヤードバーズが改名し、レッド・ツェッペリンが誕生した。
レッド・ツェッペリン初のライヴは10月25日、サレー大学で行われている。レッド・ツェッペリンはインプロビゼイションに比重を置き、曲の半分以上をインプロビゼイションに任せたジャズのようなフリー・フォームな演奏を行っていたということである。アメリカのアトランティックと契約を行ったツェッペリンは、11月、デビュー・アルバムの録音を始めた。セルフ・タイトルのデビュー・アルバムは12月にイギリス発売され、直後からイギリス・ツアーを行い、同月16日から、ボストンを皮切りに、特にウエスト・コーストを中心にアメリカ・ツアーを行った。そして、デビュー・アルバムは翌1969年1月17日にアメリカ発売された。日本発売ははるか後の1969年7月であった。
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Led Zeppelin / ST
- Good times bad times (2:43)
- Babe I'm gonna leave you (6:40)
- You shok me (6:30)
- Dazed and confused 幻惑されて (6:27)
- Your time is gonna come 時が着たりて (4:41)
- Black mountain side (2:06)
- Communication breakdown (2:26)
- I can't quit you baby 君から離れられない (4:42)
- How many more times (3:30)
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さて、レッド・ツェッペリンはジミー・ペイジやロバート・プラントがアート・スクールに通っていたせいか、ジャケット遊びが好きなグループだ。これは、ファースト・アルバムからいきなりである。レコード・コレクターズ(1996 Vol.15 No.2)によると、アルバム左上隅のLED ZEPPELINの文字と右下隅のATLANTICのロゴの色が発売国と発売時期によって異なるのである。写真の青はイギリス初盤(ATLANTIC 588 171)、日本初盤(アトランティック/日本グラモフォン SMT1067)は赤、コロンビア・レコードクラブ盤(アメリカATLANTIC SD19126)は黄色、オーストラリア盤(Australia ATLANTIC SAL933,232)はオレンジでLED ZEPPELINのロゴの下に「STEREO」の文字が入る、という具合だ。因みに、手元にあるワーナー・ブラザース・パイオニア盤はオレンジである(P-8041A)。これが普及品でしょう(^^)・・・なぜ写真が青なんだって?見栄っすよ見栄、パソコンって便利すね〜(笑)。
国内初盤の帯には「日本も襲うか!アート・ロックの巨星!!<アート・ロック・シリーズ>レッド・ツェッペリン登場」と記載され、しかも、裏ジャケットでメンバーの写真と名前が一致していないという「落ち」つきだったようだ。発売が本国から数ヶ月遅れているにもかかわらず不思議の国日本神話が生まれそうなアホぶりであった(笑)
右写真(若いっすね〜(^^))は、アルバム背面に印刷された1969年当時のメンバーの写真。左上がジョン・ボーナム(drums,tympani,backing vocal)、右上がロバート・プラント(lead vocal,harmonica)、左下がジミー・ペイジ(electric guitar,acoustic guitar,pedal steel guitar,backing vocal)、右下がジョン・ポール・ジョーンズ(bass,organ,backing vocal)である。
このアルバムは、最も優れたロック・ミュージックの教科書或いは唯一無二の最もシンプルなロック・ミュージックの標本である。ギターのリフと粘っこいボーカルの絡みが見事なGood times bad times、Communication breakdown、How many more times特にGood times....はシンプルなペンタトニック・スケールの駆け降りと駆け上がりだけであれだけカッコよくロック出来ることを教えてくれた神様的存在感の曲である。トラッド・ベースのBabe I'm gonna leave youは、アコースティック・ギターをロック・ミュージックに導入する最もキマる或いはハマる方法を見せてくれたばかりか、極端な緩急によるハードロックにおけるこけ脅し的効果を始めて体感させてくれた記念碑的な楽曲であった。また、Your time is gonna comeは、教会的オルガンで始まる一種の様式美を世の中に知らしめた素晴らしい作品であり、以降、この様式の曲にハマりまくる種子を植え付けてくれた心憎い曲である。You shok me、Dazed and confused、そして、I can't quit you babyは、ブルースの素晴らしさを、ブルースを知らないガキっ子に初めて教えてくれた作品であるに留まらず、ZEP風に消化したねちっこいながらも熱苦しくない独特のブルースに魅了される契機となった曲である。そして、何より、アコースティック・ギターとタブラ・ドラムスのデュオによるBlack mountain sideは、以降繰り広げられるツェッペリンの幅広い音楽性、特にトラッドとブルースの不可思議な同居を最初にしかも実にコンパクトに提示してくれた実に神秘的な響きを持った曲である。後に頻繁に登場するインドから中近東音楽への傾倒の片鱗も感じさせるインドのタブラ奏者バイラム・ヤサニのコラボレイトも特徴的である。
このファースト・アルバムの録音に費やされた時間は、およそ30時間と短く、収録曲も、古いブルースやバンド・オブ・ジョイ時代のナンバーの焼き直し或いは発展的改作など必ずしも十分に練られたものではないと思われるが、ストレートで荒削りなパワーの前には、出典云々は語るべくも無いというべきだろう。これが知りたい方は、レコード・コレクターズ1996年2月号を古本屋か図書館で探して読むとよい。
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| 2nd
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1969
- 爆発的ブレイク -
1月17日デビューアルバムがアメリカ発売される前の1968年末からZeppelinはアメリカ・ツアーを開始したが、1969年2月のフィルモア・イースト&ウエスト、ロス・アンジェルスのウィスキー・ア・ゴー・ゴーのライヴ等において熱狂的に迎えられた。発売後ひと月目に、ファーストアルバムは、既にアメリカのアルバムチャートで20位以内にランキングされていたということだ。一方、イギリスの聴衆は、当初、ジミー・ペイジのプレイをクラプトンやジミー・ヘンドリックスと比較するなどかなり冷静な反応であったが、成功裏に終わったアメリカ・ツアーの後に開催された凱旋公演、3月1日から4月17日では、ようやく彼らの新たな音が受け入れられる兆しを見せていた。BBCへの出演の後、4月24日〜5月末まで再度アメリカツアーを行ったZeppelinは、人気を不動のものとした。
そして、6月、早くもセカンド・アルバムの制作に入る。なお、セカンド・アルバムの録音は1月から既に行われていたと記述された資料もあるが、アメリカ・ツアーが2月まで続いていることからすれば6月スタジオ入り説が正しそうだ。6月は、下旬にBBCに再度出演、バス・フェス、ロイヤル・アルバート・ホール・ライヴなどをこなし、7月には再びアメリカに渡り8月までにかけて複数のフェスティバルに出演している。1969年の夏は、伝説のウッドストック・フェスの年であり、各地でフェスティバルが開催されたのである。ニューポート・ジャズ・フェスティバルもその一つだ。このフェスティバルは名称のとおり前年までジャズ専門のフェスティバルであったが、この1969年からロック・コンサートの日が加わった。アルビン・リーのテンイヤーズ・アフター、ジョニー・ウインター、ジェスロ・タル、ジェフ・ベック・グループなど大物が名を連ねている。この頃には、既に、アメリカにおいてファースト・アルバムのセールスが100万枚を超えており、年末には200万枚を突破している。
セカンド・アルバム「Led Zeppelin II」は、8月にイギリス発売、10月にアメリカ発売された。日本発売は12月であった。
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Led Zeppelin / Led Zeppelin II
- Whole lotta love 胸いっぱいの愛を (5:33)
- What is and what should never be 強き二人の愛 (4:47)
- The lemon song (6:20)
- Thank you (3:50)
- Heartbreaker (4:15)
- Living loving made (She's just a woman) (2:40)
- Ramble on (4:35)
- Moby Dick (4:25)
- Bring it on home (4:19)
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このアルバムは後のハードロックに相当の影響を与えたギターのリフが目いっぱいに詰まったアルバムだ。これに伴いファーストに比べるとブルース色がやや弱まっている。このことが災いして、ヘビ・メタの教祖のように奉られてしまうことになったのだが、収録曲をちゃんと聴けば、実にバラエティに富んだ音楽の要素が散りばめられていることがよくわかる。1曲目の胸いっぱいの愛をは典型的なギターのリフで始まるハードロックであるが、テーマがワン・コーラス終わるなりジョン・ボーナムのドラムスのソロに導かれて実に前衛的な世界に突入する。初めて聴いたときには暫く理解不能で目を白黒させられたくらいフリーな世界、何回かテーマを繰り返して終わるが、斬新さは感じられるものの構成そのものは今ひとつ成熟していない感は否めない。ベストテイクは疑いなく狂熱のライヴである。しかし、ロバート・プラント独特のシャウトとジミー・ペイジのギターの絡みは見事に大成されている。レモン・ソングではジョン・ポール・ジョーンズのベースが特に際立つ。煌びやかなオルガンがフィーチャーされたサンキューを経てLPであればB面冒頭のハート・ブレイカーは典型的なヘヴィー・メタル・サウンド。最近のようにギターの歪具合は深くは無いものの、ちょっとサバスに近い展開を見せる。ジミー・ペイジの早いパッセージも聴き所の一つ。リビング・ラヴィング・メイドは、ギター、ベース、ボーカルがユニゾンでリフを畳込むアップ・テンポのロック。ランブル・オンはベースをバックにロバート・プラントが歌い上げる緩の部分と、ジミー・ペイジが小刻みにバッキングする急の部分の対比が不思議な雰囲気を醸し出す曲。ブレイクを多用したリフの組み立てはツェッペリンの作り上げた音の一つの特徴である。モビー・ディックはライヴでは御馴染みのジョン・ボーナムのドラムス・ソロのための曲。強力な重低音とフィルに見せる恐るべき瞬発力に圧倒される。最後のブリング・イット・オン・ホームはベースとハーモニカで始まるロックであり、後半、胸いっぱいの愛をのリフを展開したフェイクを挟みアルバムをビシッと締めている。
8月31日、ジャニス・ジョプリン、B・B・キング、シカゴらと共にテキサス・インターナショナル・フェスに出演、20万人の観客を前に演奏した。この後、ツェッペリンは、10月から11月にかけて再びアメリカ・ツアーを行っている。アメリカ・ツアーの皮切りは、ロック・スターとしては、ビートルズとストーンズに続きカーネギー・ホールで行われている。発売前の予約がイギリスで50万枚、アメリカで70万枚であったと言われるセカンド・アルバムは、12月、アメリカのアルバムチャートでビートルズのアビーロードを蹴落として1位を記録し、以降6週間1位に君臨した。
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| 3rd
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1970
- ワールド・ツアーの開始と大幅なアコースティックの導入 -
1970年は、イギリス、アメリカ、北欧から世界に飛び出した怒涛のライヴの年であるとともに数々の伝説となる出来事が起こった年である。1月にはイギリス・ツアーが行われているが、この月、セカンドアルバムからシングル・カットされた胸いっぱいの愛をがキャッシュ・ボックス誌のチャートで2位となっている。2月にはメンバーが長髪であるという不条理な理由でシンガポールに入国を拒否され、同国でのライヴが中止されている。そして、急遽ボンベイでライブを行っている。また、コペンハーゲンでは由緒あるツェッペリンの名でライヴを行うと訴訟を起こすとツェッペリンを猿呼ばわりした婆のお蔭で、ノッブスという名前でライヴを行っている。その後、ストックホルム、スイスのモントルー・ジャズ・フェス、ウイーン、ハンブルグ、デュッセルドルフ、カナダ、アメリカと怒涛のツアー・スケジュールをこなしている。メンフィスではプレスリーと同様名誉市民の称号を授与されている。4月にアメリカ・ツアーが終了しているが、この間に、セカンド・アルバムの売上は300万枚に達している。ツアーの合間を縫って5月にはサード・アルバムのレコーディングを開始(1月からという記述もある。)、7月からドイツ・ツアー、8月から再びアメリカ・ツアー、更にはハワイにも遠征してライヴを行っている。そして9月、メロディー・メーカー誌のポップ・ポールでNo.1バンドに選ばれている。これは、国内部門、国際部門同時であり、しかも、1963年以来1位の座に君臨しつづけたビートルをを制しての快挙であった。1970年、ここに来て、遂に時代は変わったというわけだ。富士オデッセイ・フェスに出演という初の来日の噂もあったがこれは噂に過ぎず翌年に持ち越されてしまったようだ。10月にはイギリスの国際収支に貢献したとして表彰されている。そして、同月、イギリスとアメリカでLed Zeppelin IIIが発売された。日本発売は11月であった。サード・アルバムは、ワールド・ツアーを縫って、ロンドンのオリンピック・スタジオとアメリカはメンフィスのアーデンと・スタジオの両方で行われた。プロデュースは全2作同様ジミー・ペイジである。当時は、マスコミの思い込み又は渋谷陽一氏の思い込みか(笑)によって、ジミー・ペイジは非常に思慮深い完全主義者として国内では報じられていたようだ。このアルバムでは、ジミー・ペイジとロバート・プラントがスノウドニアの小屋に篭ってアレンジしたとされるトラッドの色が全面に出ている。このことが原因で、発売直後にはヘビーメタルからアコースティックへの転身として賛否両論を巻き起こし問題作扱いされた。
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Led Zeppelin / Led Zeppelin III
- Immigrant Song 移民の歌 (2:25)
- Friends (3:53)
- Celebration Day 祭典の日 (3:29)
- Since I've Been Loving You 貴方を愛しつづけて (7:24)
- Out On The Tiles (4:05)
- Gallows Pole (4:56)
- Tangerin (3:09)
- That's The Way (5:37)
- Bron-Y-Aur Stomp スノウドニアの小屋 (4:19)
- Hats Off To (Roy) Happer (3:40)
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サード・アルバムの装丁は、またまた非常に凝っている。カヴァー表面に幾つもの丸い穴が開いており、背面に色々な絵が描かれた円盤が取り付けられてるという仕掛けだ。そして、上記写真の右端中央部分を見ると解るように、円盤が手で回せるようになっていて、あけられた窓から、ジミーペイジの顔だとか色々な絵が出てくるというものだった。運悪くヴィニールが行方不明で手元にCDしかなかったので、絵が見せられないのが残念(^^ゞ
さて、上記10曲のうち、LP発売当時は1〜5がSIDE A、6〜10がSIDE Bであったが、トラッド・ナンバーはSIDE Bに集中している。SIDE Aはハード・ロック・サイドである。当時は、A、Bというハード上の特質を生かして、ファスト・サイド、スロー・サイドのように構成されたアルバムがよく見かけられた。冒頭の移民の歌は、独特のリズムとロバート・プラントのシャウトに始まる。セカンド・アルバムの延長線上にあるファンも納得しやすい、わかり易い曲であり、見事にシングル・カットもされている。しかし、ファースト、セカンドと比べると粗忽さが薄らぎ、1音1音が相当にコントロールされている。3曲目のセレブレイション・デイにしてもこの点は同様で、若干ダイナミズムに欠けるところは否めない。貴方を愛しつづけてにしても、かなりコンパクトに纏められている。こうした方向性は、当時のブートなどから聴き取れるアグレッシブな演奏とは対極をなすほどに端正なものであるから、プロデューサーとしてのジミー・ペイジはスタジオとライヴには一線を引いていたのかもしれない。単に、録音技術が彼の意志に追いついていなかっただけなのかもしれないし、この辺りは定かではないけれども、落差は確かに存在するのである。
当時のジミー・ペイジのインタビューの中に、CSN&Yが好みだと言っているのがあるから、本当にアコースティックに凝っていたのだろう。当時のものと思われる、右の写真からは何だかほのぼのとした雰囲気が感じ取れる。しかし、音質に拘ってみると、ギャロウズ・ポール以降のトラディショナル・ソングの音質は、CSN&Yのそれとは一線を画し、イギリス特有の哀愁を帯びているし、何より、不安定なコード展開とロバート・プラントの屈折したヴォーカル・スタイルからは、ロック・グループとしての存在感が滲み出ている。
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| 4th
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1971
- 4シンボルズと天国への階段 -
1971年、ツェッペリンは、1月にカナダ、3月にイギリスをツアー行い、そして4月4日BBCのサウンド・オブ・ザ・サイドに出演した。この模様は、国内では、1984年3月5日にNHK・FMでオンエアされている(随分間隔が開いているので再放送かもしれないけど)。セットリストは、移民の歌、ハートブレイカー、ブラック・ドッグ、ゴーイング・トゥ・カリフォルニア、ザッツ・ザ・ウエイ、ウォッツ・イズ・アンド・ウォッツ・シュッド・ネヴァー・ビー、コミュニケイション・ブレイクダウン、天国への階段、胸いっぱいの愛をである。4作目のアルバム収録曲が数曲入っているが、まだまだ完成途上にあるものの、この音源を聴くと、ツェッペリンの基本が確かにフリー・フォームであり、ライヴのインプロビゼイションで曲を完成させていく過程が手にとるように解る。
4月にはヨーロッパ・ツアーを行っているが、その途中、イタリアのライヴの際、警官隊がファンに向かって催涙ガス弾を発射したことを契機に暴動が起こってしまった。ツェッペリンはこれに腹を立て、イタリアでは2度とライヴをしない旨宣言した。8月には、6回目になるアメリカ・ツアーを行っている。同ツアーは、8月19日のカナダに始まり9月17日のホノルルで終わった。
そして、引き続き、9月には、初の来日公演が開催された。ジミー・ペイジとジョン・ボーナムは9月19日に来日し、2日遅れで、21日ジョン・ポール・ジョーンズとロバート・プラントが来日した。そして、翌22日、ヒルトンホテルの銀の間で記者会見が開催されている。会見の質問内容はここに記載すべき価値の無い実に馬鹿馬鹿しいもので、メンバーも完全に失望してしまった。それに輪をかけ、翌日に新聞は、かれらは態度が悪いなどと書きたてたということだ。当時、閉鎖的保守国家日本において、長髪とエレキ・ギターは不良の象徴だったのである。日本公演の日程は、23日、24日が武道館、27日が広島チャリティー・コンサート、28日、29日が大阪フェスティバル・ホールであった。初日の武道館のセットリストは、移民の歌、ハートブレイカー、貴方を愛しつづけて、ブラック・ドッグ、幻惑されて、天国への階段、祭典の日、ザッツ・ザ・ウエイ、カリフォルニア、強き2人の愛、モビー・ディック、胸いっぱいの愛を、アンコール(コミュニケイション・ブレイクダウン)である。翌日はアンコールにサンキューが追加されている。このツェッペリンのショウは、およそ2時間45分ぶっ続けで行われたということだ。後の映画で御馴染みの幻惑されてにおけるジミー・ペイジの長いソロもモビー・ディックにおけるジョン・ボーナムの素手によるドラミングも既に行われている。そして、本邦初公開となったのが天国への階段・・・いやぁ、このショウを生で見たおぢさん達が羨ましいっす(^^ なお、広島で行われたショーの純益700万円は広島市に寄贈されている。 そして、大阪フェスティバル・ホールの公演、これは、タンジェリンとフレンズをセットリストに加え、しかも3回もアンコールに応えるという凄まじいもので、総演奏時間が4時間にも及ぶ伝説的公演となった。 日本国内計5箇所の公演は、今でも、伝説的に語り継がれるが、一方、メンバーのライヴ外での乱交振りも相当のものだったようであり、特に、ホテル等では相当の顰蹙モノだったということだ。
さて、1971年6月ころから録音が進められていた4作目は、同年11月18日、はじめて全世界一斉発売された。アルバムのジャケットには、文字が全くかかれておらず、アルバムタイトルは勿論のこと、バンド名やメンバー名すらクレジットされていない。


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Led Zeppelin / Led Zeppelin IV
- Black Dog (4:55)
- Rock and Roll (3:40)
- The Battle of Evermore 限りなき戦い (5:38)
- Stairway to Heaven 天国への階段 (7:55)
- Misty Mountain Hop (4:39)
- Four Sticks (4:49)
- Going to California (3:36)
- When The Levee Breaks (7:08)
- 写真上:LPのカヴァー(表)
- 下左 :LPのカヴァー(内側)イラストレーションのタイトルは「隠者」。
- 下右上:レコードケース(表)4シンボルズとゲスト、レコーディング・スタジオ、カヴァー・デザイン等のクレジット。メンバー名やバンド名はどこにも記されていない。
- 下右下:レコードケース(裏)天国への階段の歌詞が記載されている。日本語ライナーの裏側の歌詞は、聞き取りによるものなのか、何故か間違っている(^^ゞ
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上記4作目のアルバムは、前作までのネーミングの続きで、通常Led Zeppelin IVと呼ばれ、また、上記レコード・ケースに記された4つのマーク(下図)からフォー・シンボルズと呼ばれたり、また、うち中の二つが古代ゲルマン民族がラテン文字以前に使用したとされるルーン文字であることから、ルーン・アルバムとも呼ばれる。
この4つのシンボルは、左から、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナム、ロバート・プラントである。
ジミー・ペイジのシンボルは自身のデザインによるものであり、インタビュー記事によればマスコミを混乱させるためのものとのことであるが、彼の神秘主義、黒魔術信仰と関係があるのかもしれない。Zosoと呼ばれる謎のマークだ。続く、ジョン・ポール・ジョーンズのシンボルは自信に満ちた有能な人物を示すマーク、ジョン・ボーナムのシンボルは、男・女・子供を表し人間の根源を示すマークだそうである。そして、ロバート・プラントのシンボルは自身のデザインであり、彼は、失われたムー大陸の神聖なシンボルだと(ちょっと頭を打った感じで)説明している。
さて、一方、収録曲に目を移すと、ツェッペリンはアルバムを発売するごとに新しいアイデアが盛り込まれ次第に洗練されてきていることが分かる。そして、発売するごとに新たなアルバムは過去のアルバムの必ず上を行くのである。外さず、しかもパワーアップすることの困難さは、他の安定感の無い数多くのバンドから想像が易いはずだ。
第1曲、ブラック・ドッグ。ロバート・プラントのアカペラとそれに呼応するジミーページのリフそして変拍子を介してロックン・ロールする小気味良さは最高である。2曲目は、名実共にそのまんま(^^ゞロックン・ロール。これまでに無くかなりストレートな構成である。3曲目の限りなき戦いはイギリス北部のトラッドであり、サンディー・デニーが参加して録音されている。そして、LPではA面の終曲であった天国への階段である。この曲は、ただ1曲、歌詞が刷り込まれているだけではなく、内ジャケにも関連する絵が描かれているなど特に重要な意味を持つ。光るもの全て金なりと信じる婦人が天国への階段を買ったと歌い上げられる実に感動的な詩を持った曲である。アコースティック・ギターの哀愁を帯びた美しいフレーズに導かれ次第にアップ・テンポのロック・ミュージックに展開してゆく構成に感動しない人間がいるだろうか、と思わせるほどに今やロック・ミュージックのスタンダードとなってしまった名曲である。特に、ギタリスト志望者はこのアルバム自体避けて通れない教科書中の教科書なのであるが、中でも、天国への階段は、殊70年代に中高大学生であった連中にコピーしなかった奴はいないだろう。さて、内ジャケの絵画に話しを進めよう。描かれた絵のタイトルは"The Hermit"隠者である。タロット・カードに登場する隠者は7月を支配し知恵、真実、探求者、思慮深さ、自制心、逃避行を象徴する。隠者は単なる脱世間人ではなく、哲学者、賢者であり、錬金術師をも表す。ランプに灯った六角星の光と杖は魔法の象徴である。世界には天地火水(風・土・火・水)の4つのエレメンツとともに「賢者の石」という第5番目のエレメントが存在する。そして、第5元素を手に入れたものは、全ての物質を金に変えることが出来ると信じられていたのである。このように天国への階段は単に美しいバラードなのではなく、ジミー・ページの信仰するオカルティズムを背景にする魔術的な曲なのである。ロックとマジックの同期は、まぁ、当時流行ではあったのだけれど(^^ゞ、天国への階段は、特に歌詞において、これが最も感動的に凝縮されている。後に発売される永遠の詩において、「希望の詩だ」というMCが入るが、一面、天国への階段は、ツェッペリンの一つの明確な意思表明でもあるのだ。それは、「彼女は白い光を掲げ如何なる物も金に変わることを示す。もし非常に注意深く耳を凝らすなら遂に調べは耳に届くだろう。全てが一つで一つが全てとなる時に。転がるのではなく岩となるために。」というエンディングが示すとおりである。
B面では、カリフォルニアを除き、以前にもましてヘヴィーになった音の塊を見せつけてくれる。特に、冒頭のミスティー・マウンテン・ホップでは、ロバート・プラントが搾り出すような究極のシャウトをみせる。
・・・あっ、ここで余談ながら、ミスティ....は、Encomium / a tribute to led zeppelin冒頭の4 non blondesのテイクが本家に輪をかけて凄まじい迫力なので必聴でございます(^^)リンダ・ペリーのヴォーカルは、ホンマに女か?っていう感じ。ぶっ飛びます。このトリビュート自体はクソ・アルバムなんだけど、兎に角1曲だけ飛びぬけてるのよ(^^)
IV発売の後、ツェッペリンは、11月20日から12月2日までイギリスをツアーしたが、このチケットは売り出し後、1時間とたたないうちに全てソールド・アウトとなったということだ。
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| 5th
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1972
- 世界ツアーに明け暮れる日々 -
1972年は、引き続き、世界ツアーに明け暮れる日々であった。2月25日から3月10日までオーストラリア・ニュージーランド・ツアー、5月5日、ピンクフロイドらとイギリスでヴィガー・ショーに出演、6月21日からアメリカ・ツアー、9月28日に来日、10月2日から2年連続2度目の日本ツアーを行った。
日本ツアーの日程は、10月2日、3日が日本武道館、10月4日が大阪フェスティバル・ホール、10月5日が名古屋市公会堂、10月9日が再び大阪フェスティバル・ホール、10月10日が京都会館であった。来日直後の武道館公演ではロバート・プラントの声の伸びが悪く、演奏も今ひとつであってファンを少々がっかりさせたが、大阪公演以降は生気を取り戻し鬼気迫る演奏に変貌していたと伝えられている。このツアーは、直前のアメリカ・ツアーから3カ月を経過しており、この間に第5作のレコーディングが相当に進んでいたものとみられ、セットリストも新曲が幅をきかせている。セットリストは、ロックン・ロール、丘の向こうに、ブラック・ドッグ、ミスティ・マウンテン・ホップ、貴方を愛しつづけて、ダンシング・デイズ、スノードニアの小屋、永遠の詩、レイン・ソング、幻惑されて、天国への階段、胸いっぱいの愛を、アンコール(ハートブレイカー、移民の詩、コミュニケイション・ブレイクダウン)である。翌年映画のために撮影されるマジソンスクエア・ガーデンのショーはここに始まったのである。
この後、11月、スイス公演の後、11月30日から翌年の1月30日までの2ヶ月間イギリスでツアーを行っている。
そして、これらツアーと並行して行われていた第5作の録音は、11月には概ね終わっていたということだ。録音スタジオは、ニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオとロンドンのオリンピック・スタジオである。プロデューサーはジミー・ペイジ。前作までと同様エグゼクティヴ・プロデューサーにピーター・グラントが名前を連ねている。
1973
- 大胆な変革 / 聖なる館 -
第5作の発売は、1973年1月に予定されていたが、アルバム・カヴァーの問題で延期された。3月4日から4月2日までヨーロッパ・ツアーが行われ、この間、3月28日に5作目、「聖なる館」が世界一斉発売された(4月発売という記述もあるが3月末説の方が正しそうだ)。



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Led Zeppelin / Houses of The Holy
- The Song Remains The Same 永遠の詩 (5:24)
- Rain Song (6:32)
- Over The Hills And Faraway 丘のむこうに (4:06)
- The Crunge (3:52)
- Dancing Days (3:40)
- D'yer Mak'er (4:18)
- No Quater (6:52)
- The Ocean (4:16)
- 写真上:LPのカヴァー(表)
- 中 :LPのカヴァー(内側)
- 下 :レコードケース(表裏)カヴァーには、アルバムタイトルその他のクレジットが全く無いところは前回と同様ながら、今回は、レコードケースにこれらが全部記載されている。
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聖なる館は、ジョン・ポール・ジョーンズのメロトロンを大幅に導入するほか数々の新しい試みが行われた作品であり、発売当初は、IIIに引き続き、一部のマスコミやファンの間で問題作扱いされていた。今聴けば、必然的変貌であって、何が問題なんだかといったところなのだが、当時の人たちはヘビ・メタ・ツェッペリンの幻影に追われて許容力が衰えていたようだ(^^ゞ。曲目別に見ていくと次のとおり。
- The Song Remains The Same
急速調のハードなイントロで始まる、ジミー・ページのカッティングも小刻みで手数が多く、音質も歪は抑え目で極めてブライトだ。オーバーダビングされたギターの鮮烈なパートが終わったところで、曲はミディアム・テンポに展開しロバート・プラントの歌が始まる。カリフォルニアの日差し、カルカッタの雨、ホノルルの星空の下でも歌はずっと変わることはない・・・という実に肯定的な詩は当時の彼らの意思表明或いは哲学に違いない。
- Rain Song
ジョン・ポール・ジョーンズのメロトロンによる幻想世界。アプローチが実にプログレッシヴなので、この辺りを引いてきて妄信的なプログレ・ファンはツェッペリンはプログレだ・・・といったりするのだろう。しかし、初来日のインタビューの際、あなたにとってロックとはという質問に対してジミー・ペイジが定義づけはやめるべきだと答えている点を思い起こすべきだろう。ツェッペリンの音はお手軽にカテゴライズすべきじゃない。レインソングにみせるジミー・ペイジのギターと調和するメロトロン、一種牧歌を思わせる美的叙情的サウンドは、永遠の詩と対を成し、切れそうなエッジばかりが強調されてきたツェッペリンの新たな音世界を実に広大に提示する。
- Over The Hills And Faraway
アコースティック・ギターのイントロからダイナミックなロックに展開する曲。ごり押しのヘヴィー・サウンドから一歩踏み出しツェッペリンが構成に凝り始めた点は非常に面白い。展開がドラマチックだ。
- The Crunge
これは、ツェッペリン版ファンクだ。JBのような黒さは皆無で、そのかわり非常に屈折したロバート・プラントのヴォイスが特徴。ジョン・ポール・ジョーンズはシンセサイザーを弾いている。
- Dancing Days
ヘヴィーなリフを主体にした典型的ハード・ロック・サウンド。革新的なアルバムの中にあって保守的ファンには受けがよかったんじゃないだろうか。
- D'yer Mak'er
この曲では、レゲエを演じている。ツェッペリンは以降の作品でも明らかなとおり、民族音楽をロックに融合させるべく若しくは作曲のインスピレーションとして用いているのかもしれないけれども、色々なリズムが試されている。このアルバムの中で言えばファンクやレゲエは、8ビートを崇拝する堅気なハード・ロック・ファンにはちょっときついかもしれないが、しかし、実に自然に消化されている。当時、アメリカやイギリスではレゲエが流行していたようで、少しあやかったところもあったようだ。
- No Quater
ジョン・ポール・ジョーンズがシンセサイザーとピアノを弾きロバート・プラントはヴォーカル・マイクにイコライザーとフェーズ・シフターを通している。根底にあるのはブルースであるが、深いエコーに包まれた非常に幻想的な作品に仕上がっている。プログレッシヴなムードも漂う。
- The Ocean
新しい(といっても、当時新しかったという感じ)ハード・ロックのスタイルに古いロックン・ロールのスタイルを同居させた曲。エンディングらしく比較的ストレートに響く。
以上のように、色々な試みが行われたアルバムは、ヒプノシスの幻想的なカヴァーで発売された。正規音源10枚の中で(後の音源は、このサイトではオフィシャル・ブート扱い)一際鮮やかなこのアルバム・カヴァーが示す如く、キーボードの大幅な導入、ギターの音質の変化、大胆なリズムの導入、構成と展開に拘ったドラマチックなアレンジという根本的な変化が見られる。実は、このアルバムの発売時に評価が高くなかったという点は、このページを取り纏めるに当たって資料に一通り目を通して初めて気が付いたことだ。個人的には極めて評価が高かったのだが・・・。考えてみるに、世間が求めたのは天国への階段路線の解りやすいドラマチックさであって、大胆に肩透かしを食らったことが単なる原因なんじゃないだろうか。ファンクやレゲエの導入は単なるアーチストとしての興味の矛先がそこに向いたに過ぎないのであって、煮詰まっていた等の評価は単なるライターの思い込みに過ぎない極めて不当なものであった。
さて、聖なる館発売後、ツェッペリンは、5月4日から6月3日まで第9回アメリカ・ツアーを行い、ハワイで休養した後、再び、7月6日から7月29日まで第10回アメリカ・ツアーを行っている。このツアーのうち、5月4日のアトランタ・ブレーブス・スタジアムでは観客49236人を動員、翌5日のフロリダ・ダンパ・フォーラムでは56800人を動員し、いずれも、ビートルズの動員記録を塗り替えている。このほか各地で、ストーンズやグランド・ファンク・レイルロードの記録を塗り替えている。そして、ツアー最終公演である、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンのショー、7月27日から29日の3日間には、映画のための撮影が行われた。
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| 6th
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1974
- スワン・ソング・レーベルの設立 -
1973年春先に「聖なる館」を発売するまで、毎年、コンスタントにアルバムを発表し、しかも、途絶えることなく、世界中をツアーで駆け巡っていたツェッペリンの情報が、1973年7月のマジソン・スクエア・ガーデンのライヴを最後に途絶えた。その後、ジミー・ペイジによるソロ・アルバム制作説やら各種噂が飛び交ったものの、極東の国日本には、確かな情報は届いてこなかった。ところが、1974年5月、レッド・ツェッペリンが自らのレーベル、スワン・ソングを設立したという情報が飛び込んできた。どうやら、彼らは、若手アーチストにデビューの機会を提供すべく、この準備を行っていたようだ。初代社長には、ヤードバズ以来、ツェッペリンのマネージャーを務めていたピーター・グラントが就任している。スワン・ソングズは、ロイ・ハーパーやバッド・カンパニーと契約し、レーベル第1段アルバムは、バッド・カンパニーのデビュー作と決まり、これは6月に発売されている。バッド・カンパニーは、フリーのポール・ロジャース、クリムゾンのボズ・バレルらによって結成されたバンドだ。ツェッペリンの6作目の録音は、レーベル発足直後から始まった模様だ。年内、ツェッペリンは、新作の録音を行っていた模様で、ロバート・プラントがモロッコとサハラを旅したというニュース、ジョン・ポール・ジョーンズがハイド・パークで開催されたコンサートで、ロイ・ハーパーやピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアらと演奏したというニュース、そして、9月頃、スワン・ソングからデビューしたバッド・カンパニーのライヴにジミー・ペイジが飛び入りしたというニュースが伝えられた程度であった。
1975
- 総括的二枚組大作の発表 -
1975年、ツェッペリンは、再びツアーを開始した。1月に、ベルギーとオランダを回った後、19日から11回目のアメリカ・ツアーを行っている。そして、1月24日、6作目に当たる2枚組の大作、「フィジカル・グラフィティ」が発売された。日本発売は2月にずれ込んだ。大貫氏筆による国内盤ライナーは、音源なしで資料のみによって書かれている。この超突貫工事の様子が文面から窺われてなかなか面白い(^^ゞ
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Led Zeppelin / Phisycal Graphiti
Disct 1
- Custard Pie (4:20)
- The Rover 流浪の民 (5:44)
- In My Time of Dying 死にかけて (11:08)
- Houses of The Holy 聖なる館 (4:01)
- Trampled Under Foot (5:38)
- Kashmir (9:41)
Disc 2
- In The Light (8:46)
- Bron Yr Aur (2:07)
- Down by The Seaside (5:15)
- Ten Years Gone (6:55)
- Night Flight 夜間飛行 (3:37)
- The Wanton Song (4:10)
- Boogie with Stu (3:45)
- Black Country Woman 黒い田舎の女 (4:30)
- Sick Again (4:40)
- 写真1:LPのカヴァー(表)
- 写真2:LPのカヴァー(裏)
表裏とも、窓の部分がくりぬいてあり、レコード・ケースを上の部分から入れるようになっている。
- 写真3:レコード・ケース
レコード・ケースには、窓の部分に表裏とも顔や飛行船の写真が印刷されていて、カヴァーに収めると、窓から、写真の顔などが覗く仕掛けになっている。
- 写真4:レーベル
スワン・ソングのレーベル・マーク、写真は、ワーナー・パイオニア盤SideA。そういや、このマークのTシャツのほか、ZEPのTシャツは、何枚かあったなぁ。・・・そのうち見つけたら、載せよっ(^.^)
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フィジカル・グラフィティは、数曲の大曲を挟み、全面がヘヴィー且つストレートなハード・ロックで統一されている。構想から完成に至るまで1年半の歳月が投入されただけあり、数々の試みが散りばめられてはいるものの、極めて完成度が高い。ジミー・ペイジのディストーションが以前に増してより深くかかったギターの音色によりトータライズされているようだ。ディスク1の1、2曲目は典型的教科書的ハードロック・ナンバー。印象的なリフが耳に残る。流浪の民のギター・ソロは実に美しく纏められている。3曲目、死にかけては、ボブ・ディランの演奏で有名なナンバー。ツェッペリンは実に重厚に演奏する。原曲はウイリー・ジョンソンのジーザス・ゴナ・メイク・マイ・ダイング・ベッド。4曲目、前作のアルバム・タイトルであった聖なる館と5曲目は、軽快なロックン・ロール。フェンダー・ローズ・ピアノがいい効果を出している。6曲目のカシミールは、ハリウッド版ゴジラでもお馴染みのナンバー。ストリングスを加えツェッペリンの中で一際プログレッシヴな大曲だ。ロバート・プラントがモロッコの旅で得たインスピレーションに基づいて作られたものということだ。2枚目に移ると、冒頭、インドか中近東辺りへの傾倒を感じさせるシンセサイザーに導かれて始まるイン・ザ・ライト。実に壮厳な響きを持った曲だ。以降、ホンキートンクやブギを織り交ぜながら、ハイテンションを持続したまま一気に終曲まで駆け抜けてしまう。・・・そういうアルバムだ。統一感について更に付加すれば、このアルバムの統一感は、過去のツェッペリンのアルバムの中で群を抜いている。過去のリズムやメロディーにおける数々の実験、異種、他国の音楽とブルース、ロックとの融合が、ここに来て遂に大成されたと言えるのではないか、と思う。
フィジカル・グラフィティは発売後すぐに、アメリカでプラチナ・ディスクを獲得する売上を示している。ツアーでは、2月、マジソン・スクエア・ガーデンのチケット6万枚をあっという間にソールド・アウトにし、ナッソー・コロシアムでは4万枚を、5月、イギリスのアールズ・コートにおける5回にわたる公演では8万5千枚を売り切っている。アールズ・コート・ライヴは、4時間にも及ぶ呪術的なもので、今や伝説となっている。
さて、1975年はメンバーにとっては受難の1年であった。1月ジミー・ペイジが列車のドアに指を挟まれて骨折、セットリストから幻惑されてが外され、8月4日、ギリシャで家族と休暇中、ロバート・プラントが自動車事故に合っている。ロバート・プラントは、この後、少なくとも年内は自力歩行できない程の重症であったが、このような中、車椅子を用いて、次作第7作のレコーディングが行われている。第7作のレコーディングは、第6作フィジカル・グラフィティと対極をなし、僅か18日間で終了している。
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| 7th
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1976
- 1/2 - 存在 -
1976年4月、プレゼンス(存在)と題する7番目のアルバムが発売された。ツェッペリンは、アルバムを制作する度に新たな試みを加え、常にそのサウンドを進化させてきた。しかも、1枚若しくは1曲たりとも駄作を発表することが無く、しかも、後に発表されたアルバムは、常に、前に発表されたアルバムを上回る何かを備えていた。この点においては、他に比較可能なバンドは存在しない。プレゼンスは、そうしたツェッペリンの数あるアルバムの中でも極めつけの1枚だ(・・・と、アルバムが出るたびに自己完結的に納得してしまうから怖いのだけれど。)。音の存在感が只者ではないのだ。アルバム・タイトルは、そうした彼らの自信の表明に違いないし、それを優に認めざるを得ないだけの迫力に満ちているからどうしようもない。プレゼンスは、アメリカにおいて発売前の予約だけで、プラチナディスクを獲得している。


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Led Zeppelin / Presence
- Achilles Last Stand アキレス最後の戦い (10:26)
- For Your Life (6:21)
- Royal Orleans (2:58)
- Nobody's Fault But Mine 俺の罪 (6:15)
- Candy Store Rock (4:10)
- Hots On For Nowhere 何処へ (4:42)
- Tea For One 一人でお茶を (9:27)
- 写真上:LPのカヴァー(表)
- 下 :LPのカヴァー(内側)
ヒプノシスのデザインによるカヴァー・アートである。各光景に異様にしかも自然に鎮座する黒いフォルムは、存在そのものの象徴なのであろう。2001年宇宙の旅に登場するモノリスからのインスピレーションかジミー・ペイジの黒魔術趣味の象徴かと発売当時騒がれたが、本当のところはさほどの意味はなさそうである。
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さて、第7作プレゼンスは、過去のアルバムに見せた彼らのサウンドの様々な要素のうち、ヘヴィー・メタリックな部分を究極にまで突き詰めたものである。キーボードレスという点からも、ロックに対する思い入れや執着が強く感じられる。
冒頭の「アキレス最後の戦い」は曲想は移民の歌の拡大解釈版的な印象の曲であるが、ギターのみでアルペジオ・パターンが数小節奏された後、いきなりハイテンションのジャムに突入しボーカルパートを2コーラス経てギターソロに突入するまでの構築が巧みである。よく歌う哀愁を帯びたギターソロも実に美しい。一般に4の天国への階段と並び非常に人気の高い曲だ。しかし、"プレゼンス"を如実に示すのは、続くリフが主体の5曲である。限りなくヘヴィーにドラムス、ベース、ギターが一体となって呪術的に繰り返されるヘヴィー・リフ。前作において、統一されたサウンドから、ここにきて、更に粋が取り出されたという印象である。音数を最小限に留めヘヴィーなリフとキメ、そしてブレイクで形作られたロールしないロック。2曲目のフォー・ユア・ライフは、その全てを物語っている。実に硬派な音だ。想像しよう。真っ黒い岩盤にぶち当たって巨大な波しぶきが上がり、更にしぶきの中から放射状に天を目指してまばゆい光線が発射されたその中に、漢字の「男」の文字が聳え立つ、その前で、フォー・ユア・ライフのイントロのあのアーム・ダウンをキメる図。・・・ちょっと表現が漫画ちっくながら・・・とにかく渋いのだ。皆さん、初めて聴いたとき、あのアームダウンに鳥肌でませんでした?以降、ロイヤル・オルレアン、ノーバディズ・フォールト、キャンディ・ストア・ロック、ホッツ・オン・フォー・ノーウェアと極めつけのリフの曲が続く。この辺りになると、私的には、もうロック経典以外の何物でもないので、もう、崇めたてるばかりでコメントするフレーズさえ出てこない。聴いたことがない人たちは問答無用でこの音の塊を体感するしかない、と思う。終曲のティー・フォー・ワン、これは、ツェッペリンの音の原点を明確に提示するものであり、"プレゼンス"の証明に他ならない。ツェッペリンは、ウィリー・ディクソン作のアイ・キャント・クワイト・ユー・ベイビーに始まるように古いブルースの数々をオリジナルのスタイルに消化して聴かせ、また、シンス・アイヴ・ビーン・ラヴィング・ユーを長年のセットリストに加えるなど、ルーツに対する執着を見せてきた。そして、ここにきて、9分強にわたるブルースでアルバムを締めているのである。・・・概観すれば、ファンから見た在るべき姿、彼らの求めるもの、ルーツといった構成であろうか。兎も角、このアルバムについて、否定的意見を述べたものは皆無であろう。(と思ったら、一人でお茶を以外つまんないと書いているライターがいたけど、こういう偏屈野郎は無視しよう!)・・・てなわけで、このアルバムにグダグダとぬかす野郎はそもそもロックを聴く資格がない、これこそがロックだ!という、ひたすら凄いアルバムなのでございます(^.^)
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| 8th
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1976
- 2/2 - 永遠の詩 -
1976年、世界の片田舎日本のファンにとって、これほど興奮満ちた年はなかった。10月、映画「永遠の詩」の英米公開と同時に、映画そのものの公開は翌年にずれ込んだものの、サウンドトラックの2枚組みLPが国内発売されたのである。屈指の名作プレゼンスから僅か半年後の出来事である。永遠の詩は、1973年7月27日から同月29日までの3日間、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開催されたコンサートのライヴ・レコーディングである。
アルバム発売から5年後位であったか、アトランタ出身の英語の教師と話したときに、彼は、目を細め、遠くを見るような目つきで、このライヴを2日見たと誇らしげに話して聴かせてくれた。クソ田舎から見に行っていたのだ。それに加え、君のような年齢で何故ZEPのファンなんだいって不思議そうにしていた記憶が鮮明だ。・・・マジソン・リアル体験については、むちゃくちゃ羨ましいとしか言いようが無かったが、当時バンドに入れ込んでいたふらさんは、更にガキの頃にブラック・ドッグや天国への階段をバンドでコピーしていたのだということ、そして、ジミー・ペイジのギター・プレイにイカレているのだということを懇切丁寧に説明してあげた。彼はへぇ〜って感じだったが、アメリカ人って一般にリアルタイムのバンドのファンって奴しかいないのかね。よく分かんないけど。・・・まぁそれは置いといて、兎にも角にも、遂に、初のツェッペリンのライヴアルバムが発売されたのである。
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Led Zeppelin / The Soundtrack from The Film The Song Remains The Same
- Rock And Roll (4:03)
- Celebration Day 祭典の日 (3:49)
- The Song Remains The Same 永遠の詩 (5:53)
- Rain Song (8:25)
- Dazed and Confused 幻惑されて (26:52)
- No Quater (12:30)
- Stairway To Heaven 天国への階段 (10:57)
- Moby Dick (12:46)
- Whole Lotta Love 胸いっぱいの愛を (14:25)
- 写真1:LPのカヴァー(表)
- 写真2:LPのカヴァー(内側)
- 写真3〜6:ブックレット
ブックレットの写真は、映画のワンカット。写真4の左側は、映画冒頭のイメージ部分。右はジョン・ポール・ジョーンズ。写真5の左側はジョン・ボーナム、右はロバート・プラント。写真6はジミー・ペイジ。
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当時、ツェッペリンは、全てのライヴをレコーディングしているとか、ジミー・ペイジが凄く厳格な人で、ライヴの発売を許さなかったとか、そのうち、集大成ライヴが出るに違いないとか、数々の噂は飛び交っていた。・・・が、結局、ツェッペリン存命中に出た公式ライヴ・アルバムは後にも先にもこれ1枚だけであった。邦題は「狂熱のライブ」である。手元のCDの帯は、「ツェッペリンのライヴの迫力、グループの全貌を知る上で欠くことの出来ない通算8作目(76年作品)。」と妙にあっさりとしているが、一方、LPの帯はこうである。「歓喜・・・!待ちに待ったツェッペリン初のライヴ遂に登場!ロック史上に数々の奇蹟を残している王者ツェッペリンに新たな奇蹟が起こった!?っそれは伝説ともいわれたライヴ・アルバムの発表だ!!」気合が違うのである。
さて、音である。ジミーペイジがオーヴァー・ダビングを重ねて作り上げた重圧な世界だとか、ジミーペイジはそもそもライヴとレコードとは区別して考えていたのだとか、生音との乖離が激しいとか、なんだかんだと言われていた記憶はあるが、それがどないしましてん、という奴である。BBCの音と違うだとか、薀蓄を捏ねまわす奴は後を絶たないが、だからなんだというのだ、と一蹴せざるを得ない。凄いのだ。またまた、単細胞的失語症的に凄い凄いを連発するしかない。最高は昨今危険なので、やはり凄いしかないのである。怒涛のライヴである点は、上記、収録曲の演奏時間が即座に物語っている。
最近のインタビューで、ツェッペリンはフリー・フォームなバンド演奏をするための実験的ユニットだったとか、演奏の半分はアドリブであったとか、伝えられているが、まさにそのとおりである。比較的スタジオ・アルバムに忠実に、しかし、圧倒的なパワーを加えて演奏される最初の4曲の後、いきなり、LPではサイドB全面を使って繰り広げられる幻惑されては圧巻以外の何物でもない。ロバート・プラントが花のサンフランシスコを加え、ジミー・ペイジはバイオリンの弓でオキマリのパフォーマンスを延々と演じる。モビー・ディックではジョン・ボーナムの素手叩きが登場する上に、胸いっぱいの愛をでは、ブギー・ママを挟む。このような変化自在な演奏は、最近のバンドにはちょっと見られなくなったので、そういう意味でこのアルバムは一つの歴史的遺産なのかもしれない。 さて、次は、映画の方である。国内公開は1977年に入ってからとのことで、これはリアルタイムで見た記憶がある。(リアルタイムだと思うのだけれど)小さな映画館でアバとかビートルズとかの映画と3本立てくらいで上映されていたような記憶だ。当時の衝撃は今でも忘れられない。その衝撃のお陰で、ビデオが普及し始めた途端、1984年にVTRが発売されると同時に超高価なVHSテープを入手してしまった。15800円。ひどいボリようだ。すってんてんになってしまった。しかし、そこに収められた内容は、すってんてんになっても入手するに相応しい、セコイことをいっていられない内容だったのである。本当は、当時、SONYのベータとVHSとがまだ競り合っていた頃だ。本当はベータのデッキを買うつもりだったのだけれど、ソースがたくさんあるクソ・デカイVHSテープを使用するデッキを買ってしまったのも、狂熱のライヴのおかげなのだ。

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Led Zeppelin / The Song Remains The Same (137min.)
- Rock And Roll
- Black Dog
- Since I've Been Loving You
- No Quater
- The Song Remains The Same
- Rain Song
- Dazed and Confused
- Stairway To Heaven
- Moby Dick
- Heart Breaker
- Whole Lotta Love
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さて、映画「永遠の詩」、この衝撃の凄まじさは、一言二言で言い表せるものではない。突然、話は1977年に戻るが、映画に行くまで、LPと映画の収録曲が違うなんて思ってもいなかったのが相当に影響していたようだ。本編のライヴが始まるまでに、イメージっぽい絵がかなり挿入されている。これで、いいかげん焦らされた後にマジソン・スクエア・ガーデンの映像に突入する。最初は、オキマリのロックン・ロール。次は祭典の日だと思い込んでいたら、ブラック・ドッグで、しかも、その次が極めつけの貴方を愛しつづけて・・・こりゃぁ、もうたまりまへんわ、というヤツである。レスポールのピックアップを切り替えながら繊細に紡ぎ出されるブルース、弾くにつれてボロボロになってゆくバイオリンの弓、基本に不忠実に(笑)腕の力で重いリズムを刻むボンゾ、実に地味にバンドを支えるジョン・ポール・ジョーンズ、SGダブルネックで弾かれる天国への階段、アンテナの間で手を振るわせる例の装置(なんて名前だっけ)などなど、ツェッペリンの音の秘密が次々と明らかになってゆく。しかも、アルバム・カヴァーに忠実に作られたイメージ映像の数々、IVの隠者や聖なる館などは、ライヴ映像を過去のスタジオ・アルバムと同期させ、ファンを昇天へと誘う。これでもかといわんばかりに練りこまれた演出だ。・・・てなわけで、この映像だけは、何を置いてもファン必見である。断言する。・・・だって、百聞は一見に然ずって言うでしょ。この言葉が真実であることをこの映像は物語っている。
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| 9th
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1977
- 沈黙期への突入 -
1977年2月からアメリカツアーが予定されていたが、ロバート・プラントが風邪をこじらせたために延期となった。3月、ジョン・ボーナムを除く3名はクロコダイルというパブでジャムを行っている。延期されたアメリカ・ツアーは4月1日から開始された。5月12日、レッド・ツェッペリンをマネージャーのピーター・グラント、がアイヴァー・ノヴェロ賞(どんな賞なんでしょ?)を受賞している。7月23日、オークランド公演後に、ジョン・ボーナム、ピーター・グラント、そして、ロード・マネージャーのリチャード・コールがプロモーター、ビル・グレアムのスタッフが乱闘を起こした。ビルはツェッペリンとの仕事をしないと宣言し、ツェッペリン側は暴行罪に問われた。7月26日、ニュー・オリンズに到着した頃、ロバート・プラントは、息子のカラックが伝染性腸炎で急死したことを知らされた。直ちに、ロバート・プラントは帰国、ツェッペリンは残る10回の公演をすべてキャンセルした。
そして、ツェッペリンは、長い沈黙期に入っていった。
この後は、ジミー・ペイジが8月のチャリティー・ギグ、9月のゴールドディガーズ主催のチャリティー・ギグ、同月のWEAのギグに出演した程度である。(前記2つのギグは同じギグに関する異情報かもしれない。)
巷では解散説が流れた。しかし、11月5日、ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌でジミー・ペイジが解散説を否定した。
1978
- 再集結 -
1978年5月、ツェッペリンはクリアウェル城に集まり、ニュー・アルバムのリハーサルを始めた。この後、しばらく、ニューアルバムのニュースは届かなかったが、その間、ロバート・プラントは、7月にドクター・フィールグッドのライヴに飛び入り、8月にはデイヴ・エドモンズとニック・ロウのライヴに飛び入りしている。8月には、ジョン・ポール・ジョーンズとジョン・ボーナムがポール・マッカートニー&ウイングスのアルバム「バック・トゥ・ジ・エッグ」のレコーディングに参加している。
この後、10月、再びロンドンに集まったメンバーは、ニュー・アルバムのためのリハーサルを行い、12月、スウェーデンのアバのスタジオで9作目のレコーディングを行った。このことから、当時大ブレイク中であったアバが新作のレコーディングに参加するという噂が出たが、結局はデマであった。この後、ジミー・ペイジは自宅でミキシングを開始している。
1979
- 復活ライヴ! -

長期間沈黙を通してきたツェッペリンは、ついに、重い腰を挙げ、1979年8月4日、ネヴワース・フェスティバルに、続く8月11日、ネヴワース・フェスティバルIIに出演した。ネヴワースでは当初、ポリスとブームタウン・ラッツが前座を務める予定であったが、実際には、トッドラングレンズ・ユートピアらに変えられている。この理由は公式には伝えられていないものの、ツェッペリン側がニュー・ウエイヴのバンドの起用を拒否したためだといわれている。当時は、矮小稚拙なパンクの台頭が著しく、テクニカルなハードロック・バンドはその対極としてマスコミにオールド・ウェイヴと位置付けられつつあったのである。ネヴワースの批評は賛否両論であった。ツェッペリン完全復活を掲げる好意的なマスコミは、一面ないし表紙に彼らを起用し、大々的な特集を組んだ。概して、こちらが圧倒的多数であったが、中には、全盛期の輝きは既に失われていた、復活の看板だけだという手厳しい批評もあった。・・・しかし、なんだかんだといいながら、復活は手放しで喜ばざるを得ない。当時国内では今は無きライフや専科誌が幅をきかせていたが、一方、player誌などまでもツェッペリン一色であったことは記憶に新しい。写真左はネヴワースのライヴ風景、右は、ネヴワースに登場したときのジミー・ペイジの写真。なんてりりしい・・・このお姿をみて同じようなスーツを買ってマールボロをくわえてみたミーハーな人は私だけ?
さて、この直後、9月に第9作、イン・スルー・ジ・アウト・ドアが発売された。
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Led Zeppelin / In Through The Outdoor
- In The Evening (6:48)
- South Bound Saurez (4:11)
- Fool In The Rain (6:08)
- Hot Dog (3:15)
- Carouselambra (10:28)
- All My Love (5:51)
- I'm Gonna Clawl (5:28)
- 写真1,2:LPのカヴァー
- 写真3,4:LPのカヴァーを包み込む袋
- 写真5,6:レコードケース
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イン・スルー・ジ・アウトドアは非常に凝った装丁がなされていた。ジャケットが6種類あって、それは茶色の紙袋に入っており、買って見なければどのジャケットかが判らないという仕掛けなのである。お金持ちのファンの人たちはきっと大枚をつぎ込んで揃えたんだろうな〜と思う。なかなか商売上手である。ふらさんはそんなことまではしなかったので、写真は1枚分しかお見せできないけれど。6枚それぞれには背表紙の部分の一番上にAからFまでのジャケット番号が付されている。写真はEだ。各ジャケットはヒプノシスによるものであり、バーの登場人物7名の視点で、カードを燃やす男性の火をつける前後が描かれている。これについて更に詳しく知りたい方は、専門のサイトIn Through The Out Door Revisitedをご覧下さい。1点だけ補足すると、レコードケースの遊びだ。写真5、6のとおり、元は白黒の印刷だったのだが、水につけると水色、赤、緑の色が滲み出てくるという仕掛けになっていた。もったいなくて水に浸けられなかった人はこの絵を見てくださいね。こんな仕掛けだったんですよ〜!
さて、イン・スルー・ジ・アウトドアに収められた楽曲は、前作までのストレート路線から一転し、聖なる館の再来を思わせるキーボード全開サウンドである。しかも、ジミー・ペイジは当時のインタビューで、ジョンのヤマハのシンセはフル・オーケストラの音が出せるなどと答え、しかも彼自身でさえギター・シンセを使用している。サザン・ブギ有りウエスタン有りというリズムの方法論とも相まって、少々後退したかに思われたが、今思えば、実際には、デジタル・シンセサイザーの可能性について彼らの目が向いていたのかもしれない。
世評は、散々であり、ツェッペリンは終わりだと嘆くものが多かった。ファンを扇動していた渋谷陽一氏自身でさえ、LP解説では、重い一歩を踏み出した、と手放しのべた褒めをやめ、しかも、コーダのライナーで当時の否定的心情を隠していない。
しかし、妄信的なZEPファン、ないし、ジミー・ペイジ・ファンであったふらさんは、薬を飲むように何度もLPを回して耳に馴染むまで聴き込んでいたのでありました(^^ゞバラードのオール・マイ・ラヴや極めつけのブルース、アイム・ゴナ・クロールなど耳にこびりついていますし、アイム・ゴナ・クロールの彼女を愛しているから這ってでも行くというフレーズが、なんだか、積年の沈黙を破る一種の決意表明のように胸に響いたりしていたのです。ケラウズランブラやホットドッグは、またまた、ギター教科書の一つとさせていただいたりなど致しました。・・・いつのまにか文体が変わってる(^^ゞ
イン・スルー・ジ・アウトドアは事実、ツェッペリン存命期のラスト・アルバムである。真実、グループの生み出した音はここに終わっている。しかし、このアルバムが発売されたこの時点では、誰一人としてツェッペリンの終わりを知る由もなかった。
1979年のその後の活動としては、12月に各メンバーが、しかも、イギリス各地で、ウイングスのギグに飛び入り参加している。
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| 10th
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1980
- 終焉 -
1980年春先からツェッペリンはヨーロッパ・ツアーに向けたリハーサルを繰り返していた。ツアーは6月17日に始まり7月7日に終わった。
9月、ツェッペリンの各メンバーはイギリス・ツアーの打ち合わせのために、ジミー・ペイジのウインザー邸に集合した。神秘主義者クロウリーの館である。9月24日、遅れて合流したジョン・ボーナムはさんざん酒を飲んで就寝、その後、嘔吐物により窒息し死亡した。翌25日、死亡確認後、ジョン・ボーナム死亡のニュースが世界に伝えられた。新聞の扱いは1段の小さなもので、前記内容が手短に記述されていた。ジミー・ペイジの黒魔術趣味との関係など各種ゴシップ記事は飛び交ったものの、事実関係について多くは伝えられなかった。ツェッペリンは、直ちに、翌日以降の全予定をキャンセルし、10月10日、ジョン・ボーナムの葬式が行われた。そして、11月以降、今後の活動について話し合ったメンバーは、12月4日レッド・ツェッペリンの解散を公式発表した。最愛の友を失い、バンド活動を続けることはできないとの結論に達したとの理由であった。
1981
- 最終楽章 -
解散後、ロバート・プラントはハニー・ドリッパーズでオールディーズを演奏したほか、ソロアルバム11時の肖像を発表、ジミーペイジはデス・ウィッシュ2のサントラを制作した。そして、11月22日、ファンへのプレゼント、或いは、ツェッペリンの終焉宣言とでもいうべきアルバム、コーダが発売された。


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Led Zeppelin / Coda
- We're Gonna Groove (2:36)
- Poor Tom (3:03)
- I Can't Quit You Baby (4:16)
- Walter's Walk (4:24)
- Ozone Baby (3:50)
- Darlene (5:04)
- Bonzo's Montreux (4:15)
- Wearing And Tearing (5:27)
- 写真上:LPのカヴァー(表)
- 写真下:LPのカヴァー(内側)
手ぶれ等で、今一取り込みが上手くいっていないので、検討中(^^ゞ
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邦盤の帯には感動的なコピーが付されている。「ロック史上不世出のグループ、レッド・ツェッペリン。そしてその名はジョン・ボーナムとともに神に召された。」コーダには1969年から1978年までの8曲が収められている。さめた目で見れば未発表曲集に過ぎないが、収録曲は、いずれも荒削りで一貫してギター中心のハードロックであり、イン・スルー・ジ・アウトドアに不満を募らせたファンを癒す内容であった。内ジャケには、デビューから解散までの写真の数々が散りばめられている。
ツェッペリンは、終わったのである。終わりが壮絶なのは映画やドラマの世界だけ。現実は意外とあっけないものである。
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| その後・・・
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(Led Zeppelin 関連アルバムリスト)
このリストは、数あるLed Zeppelin 関連のアルバムの主だったところを判る範囲で掲載したもの或いはしつつあるものです。堅気の皆さんには十分すぎる分量でしょうし、堅気でない皆さんには実に中途半端なリストかもしれません。徐々に拡充してゆきますので、当面は、このサイトのマップのようなもの(^.^)としてご利用いただければ幸いです。
Zeppelin解散後のメンバーのソロ作品等々には、ファンの期待と裏腹にZeppelinの作風とは程遠いもの、しかも、作品としてとても成功しているとは思えないものが多く、往年のファンとしては苛立ちを募らせるばかりです。そんなわけで、彼らの作り出す音楽は全て金なりとは言いがたいものの、Zeppelinを凌ぐか或いは同等までの評価は与えられなくとも、キラッと光る作品はいくつかみられるところです。そこで、このリストの中では、そういった作品群に焦点を当てて紹介してゆこうと思います。
Yardbirds
- With Sonny Boy Williamson (1964)
- Over Under Sideways Down (1966)
- Greatest Hits (1967)
- Little Games (1967)
Led Zeppelin
- Led Zeppelin I (1968)
- Led Zeppelin II (1969)
- Led Zeppelin III (1970)
- Led Zeppelin IV (1971)
- Houses of The Holy (1973)
- Pisical Graphiti (1975)
- Presence (1976)
- The Song Remains The Same (1976)
- In Through The Out Door (1979)
- Coda (1982)
- Led Zeppelin 1969-1980 (1990)
- Remasters (1990)
- Compleat Studiorecordeings (1993)
- Box Set II (1993)
- BBC Live (1997)
- Best of Led Zeppelin (1997)
- How the West Was Won (2003)
Jimmy Page & Robert Plant
- No Quater (1994)
- Walking into Clarksdale (1998)

1998年頃のジミー・ペイジとロバート・プラントの写真。
Jimmy Page
- Session / Pretty Things / Get The Picture (1965)
- Session / Twice As Much / Own Up (1966)
- Session / Donovan / Hardy Gardy Man (1968)
- Session / Jeff Beck / No Introduction Necessary(1968)
- Session / Brian Auger / Don't Send Me No Flowers (1969)
- Session / Joe Cocker / With A Little Help From My Friends (1969)
- Session / P.J.Proby / Three Weeks Hero (1969)
- Session / Al Stuwart / Love Chronicles (1969)
- Session / Family Dogs / A Way of Life (1969)
- Session / Screaming Lord Sutch / Lord Sutch & Heavy Friends (1970)
- Session / Roy Harper / Life Mask (1973)
- Session / Roy Harper / Flashes From The Archives (1974)
- Session / Rolling Stones / Metamophosis (1975)
- Solo / Death Wish (Soundtrack) (1983)
- The Firm / The Firm (1985)
- Session / Roy Harper & Jimmy Page / Whatever Happened to Jugula? (1985)
- Session / John Paul Jones / Scream For Help (1985)
- Session / Willie and The Poor Boys (1985)
- Session / Box of Flogs / Strange Land (1986)
- The Firm / Mean business (1986)
- Solo / Outrider (1988)
- Session / Session Man 1963-1967 Volume One (1990)
- Session / Session Man 1963-1967 Volume Two (1990)
- Coverdale Page / Coverdale Page(1993)
- Page,Jones,Lee / No Introduction Necessary (1995)
- Page,Jones,Lee / Before The Balloon Went Up (1998)
- John Paul Jones, Jimmy Page / The Masters (1998)
- Jimmy Page / Jimmy Page (1999)
- Jimmy Page / Best of Jimmy Page 1964-1968 (1999)
- Jimmy Page - Roy Harper / Jugula (2000)
- Jimmy Page - Black Crowes / Live at the Greek
(2000)
The Greek Theatreにおける2枚組みライヴ・アルバム。
全編,ZEP尽くし。祭典の日に始まり,フィジカル・グラフィティや1stから,特にハードロックの王道的選曲で,胸一杯の愛をに至る全20曲。白黒写真による近影を数枚拝むことが出来る上に,手元のアルバムにはパソコンで再生できるエキストラ・トラックで,ライヴ映像,カラー・フォト集などが入っていて凄くお買い得。全ZEP&ペイジ・ファン必聴,必見!!!
- Session / Guitar for hire-The 60s sessions (2000)
Robert Plant
- Session / P.J.Proby / Three Weeks Hero (1969)
- Session / Alexis Korner / Bootleg Him (1974)
- Band of Joy / Band of Joy (1978)
- Solo / Picture at Eleven (1982)
- Solo / The Principle of Moments (1983)
- Honey Drippers / Volume One (1984)

- Solo / Shake'N'Stirred (1985)
- Solo / Now and Then (1988)
- Solo / Manic Nirvana (1990)
- Solo / Fate of Nations (1993)
John Bonham
- Session / P.J.Proby / Three Weeks Hero (1969)
- Session / Family Dogs / A Way of Life (1969)
- Session / Screaming Lord Sutch / Lord Sutch & Heavy Friends (1970)
- Band of Joy / Band of Joy (1978)
John Paul Jones
- Session / Donovan / Mellow Yellow (1967)
- Session / Rolling Stones / Their Satanic Majesties (1967)
- Session / Donovan / Hardy Gardy Man (1968)
- Session / Jeff Beck / No Introduction Necessary(1968)
- Session / Family Dogs / A Way of Life (1969)
- Session / P.J.Proby / Three Weeks Hero (1969)
- Session / Affinity / Affinity (1970)
- Session / Roy Harper / Valentine (1974)
- Session / Roy Harper / When An Old Cricketer (1975)
- Session / Roy Harper / HQ (1975)
- Session / Paul McCartney / Give My Regards to Broad Streat (1984)
- Session / The Earthquake Album (1990)
- Session / Automatic for the People / Automatic for the People (1992)
- Session / Brian Eno / Nerve Net (1992)
- Session / Peter Gabriel / US/US (1992)
- Page,Jones,Lee / No Introduction Necessary (1995)
- Page,Jones,Lee / Before The Balloon Went Up (1998)
- John Paul Jones, Jimmy Page / The Masters (1998)
Omnibus
- Concert For The People Kampuchea (1981)
- Whitenight(Soundtrack) (1985)
- Prince's Trust Collection (1986)
- Knebworth (1990)
- Wayen's World 2(Soundtrack) (1994)
- Adios Amigo - A Tribute to Arthur Alexander (1994)
- Encomium - A Tribute to Led Zeppelin(1995)
- Inner Flame - The Rainer Ptacek Tribute (1997)
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