
| Black Sabbath - Master of Reality |

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1960年代初期は、ロック・ミュージックの黎明期である。1962年3月ボブ・ディランがデビューし、10月にはビートルズがデビューした。1963年6月ローリング・ストーンズがデビュー、7月にはビーチボーイズがサーフィン・USAをヒットさせたほか、ヤードバーズが結成されている。65年ニューポート・フォーク・フェスでボブ・ディランがエレクトリック・ギターを使用して聴衆の非難を浴びた。66年6月にはクリームがデビューした。1968年にはレッド・ツェッペリンが結成され、ディープパープルもデビューしている。 1960年代後期、20世紀最後の魔術師と称されるアレイスター・クロウリーらの影響により黒魔術ブームが起こった。ロック界隈も当然のごとくかかるムーブメントに侵食され、黒魔術に傾倒した数々のバンドが排出された。ブラック・ウイドーなるバンドも誕生した。ストーンズでさへ黒魔術に接近し、また、後にジミー・ぺイジがクローリーの家に住み着いたのは有名な話しである。ブラック・サバスの結成に至る時代背景は、ざっとこのようなものであった。 1967年、トニー・アイオミ(g)、オジー・オズボーン(vo)、ギーザー・バトラー(b)、ビル・ワード(dr)の4人がイギリス、バーミンガムでバンドを結成した。結成当時は"earth"と名乗り、演奏する音楽も、ジャズ・ロックに近いものであったということである。初のライヴは、ザ・ポーキー・ホールであった。 1969年、4人は、バンドの名称をブラック・サバスと改名する。他に同名のバンドが存在したからである。命名の由来は、ギーザー・バトラーがベッドに寝転んで本を読んでいる時に思いついたといういい加減なものであった。なお、命名の由来については次のような説もある。前身のアースがリハーサルに使っていたスタジオの向かい側に映画館があった。ある日、そこで1935年頃に制作されたホラー映画「ブラック・サバス」が上映されている時に、その映画館の入場客が列を作っているのをサバスのメンバーが見つけた。客が恐がるために金を払うことの発見に端を発し、全員一致で「ブラック・サバス」と改名したという説である。7月に、サバスは、サウンドスタイルを現在に継承されるヘビーなものへと変貌させた。この年12月にトニー・アイオミが何とジェスロ・タルに参加するため脱退。しかしこれは、一時的なものに留まり、2週間後、早くもサバスに無事復帰した。 1970年1月、バーティゴと契約、「イヴィル・ウーマン/悪魔の世界」でフォンタナ・レーベルからレコード・デビュー。翌2月13日金曜日にファースト・アルバムを発売する。 Black Sabbath / 1970.2.13発売
/ Black Sabbath
/ The Wizard
/ Behind the wall of sleep〜N.I.B.
/ Evil woman,Don't play your game with me
/ Sleeping village〜Warning
(* 4 = "Wicked world" in U.S.A.)
アルバムの邦題は、バンド名の直訳「黒い安息日」である。冒頭のタイトル曲「ブラック・サバス」は、雨音、雷鳴、重々しい教会の鐘の音で始まる。そして、暗鬱重厚かつ不安定極まりないリフが奏でられるのであるが、単音3つによるこのリフこそ、まさにブラック・サバスの全てを語り、かつ、全てを決定付けているといってよい。また、ブルースを基礎とする彼らの演奏能力が確実であることは、眠れる村〜警告を聴くとよく理解できる。このアルバムでは、NIBの実際の歌詞と邦盤の歌詞カードに記載された歌詞が全く異なっていたり、収録曲がアメリカ盤とその他で違っていたりする。LPで言えばB面1曲目に当たる「魔女よ誘惑するなかれ」の代わりに、アメリカ盤では「悪魔の世界」が入っていたのだ。ライヴを見ることが出来ず、なおかつ邦盤しか聴いていなかった連中は、「ライブ・アット・ラスト」で始めて見にした悪魔の世界がファーストに入っていたなんてことは気付きもしなかったはずである。「ブラック・サバス」の不気味極まりないカバー・アートは、70年代のブリティッシュ・ロックのカバー・アート制作において忘れてはならない人物の一人であるキーフが手がけたものである。さて、サバスはファースト・アルバム発売後、ヨーロッパ・ツアーを行い、第10回レディング・フェスティバルにも出演し、人気を不動のものとした。
Paranoid / 1970.9発売
/ War pigs
/ Paranoid
/ Planet caravan
/ Iron man
/ Electric funeral
/ Hand of doom
/ Rat sarad
/ Fairies wear boots
そして、同年9月、早くもセカンド・アルバム「パラノイド」をリリースし、年末及び年明けの春にアメリカ・ツアーを行った。タイトル曲パラノイドは、キャッシュ・ボックスのチャート8位にランク・インした。アルバム「パラノイド」には、タイトル曲の他に、今後、ツアーの中で必ず演奏される、ウォー・ピッグス、アイアン・マンも収録されている。これら3曲は、数多くのヘビー・メタル・キッズの教科書的存在であるとともに、ロック・ミュージック全体の中でも古典の一つと位置づけられている。なお、このアルバムのオリジナル・タイトルは、「パラノイド」ではなく「ウォー・ピッグス」であったとのことである。 1971年4月、サバスには日本の公演が予定されていたが、トニー・アイオミの急病により取りやめになってしまった。7月、「マスター・オブ・リアリティー」をリリース。アメリカで本アルバムは、予約だけでゴールド・ディスクとなった。
Master of Reality / 1971.7発売
/ Sweet leaf
/ After forever
/ Embryo
/ Children of the grave
/ Orchid
/ Lord of this world
/ Solitude
/ Into the void
サバスの曲は、これまで、いずれも、リフで畳み込むいわばごり押し系のサウンドであったが、3rdは、オーキッド等においてアコースティック・ギターを取り入れたためにファンの間では賛否両論であった。(この程度のアコースティックの導入に動揺するなんて、今から考えてみれば、当時のサバス・ファンの許容の無さが窺えるが、他方、黒魔術的サウンドに対する呪術的思い入れの度合いが異常であったのであろうとも思われる。)いずれにしても、アコースティックの導入という僅かながらの変貌は、今後、幾度となく行われる新たな試みの第一頁目であった。このアルバムに収録されている、スイート・リーフ、チルドレン・オブ・ザ・グレイブ、イントゥ・ザ・ボイドは、やはり、サバスの歴史を辿る上で欠かすことの出来ない名曲である。 1972年1月末から2月中旬まで、サバスは全英ツアーを敢行する。 そして、6月、4th、「ブラック・サバスVol.4」のレコーディングを始め、9月にリリースした。
Vol.4 / 1972.11発売
/ Wheels of confusion
/ Tomorrow's dream
/ Changes
/ Fx
/ Supernaut
/ Snowbrind
/ Cornucopia
/ Laguna Sunrise
/ St.Vitus' dance
/ Under the sun
このアルバムでは、トニー・アイオミが始めて単音のメロディー・ラインを演奏し再びファンを驚かせた。冒頭の、ウィールズ・オブ・コンフュージョンである。トニー・アイオミは、これまで、リフ主体の演奏で通してきており、ソロにおいても、当該リフをブルーノートで展開するようなものが主であったが、本作では、実に、力強く朗々とメロディーを聴かせたのである。「ブラック・サバスVol.4」は、一般的に、初期の傑作として位置付けられている。緩急のメリハリが過去3作に比べかなり明確になり、曲にメロディーが伴ったという点においても一つ抜きんでた感はある。トゥモローズ・ドリーム、そして、当時のギターキッズ御用達であったスノウ・ブラインドが収録されている。 1973年3月、サバスは、ライヴ・レコーディングを予告して全英7個所をツアーした。しかし、結局、音が悪いこと等を理由に、ライヴ・アルバムは発売されないこととなった。・・・「この時は」である。後に(1980年)発売される、ライヴ・アット・ラストは、このツアーにおいてマンチェスターとロンドンで収録されたものである。
Sabbath Bloody Sabbath / 1973.12発売
/ Sabbath bloody sabbath
/ a national acrobat
/ Fluff
/ Sabbra cadabra
/ Killing yourself to live
/ Who are you
/ Looking for today
/ Spiral architect
12月、「血まみれの安息日」リリース。リック・ウエイクマン(イエスのキーボード奏者として有名。地底探検等のソロ作も多数。)がゲスト・プレイヤーとして参加している。「血まみれの安息日」に収録された曲は、全体にポップな風味に彩りされており、粘っこいヘビーさの中にやや細い線が同居したかのような仕上がりとなっている。いわゆるヘビー・メタルな音から一歩いわゆるハード・ロックへと歩み寄った感があるのである。生への自殺はやや混沌としたかに見える試みの中にあって非常に完成度の高い楽曲である。 1974年4月、サバスは、ディープ・パープルやエマーソン・レイク・アンド・パーマー、イーグルスらと一緒に、オンタリオ・モーター・スピードウェイにおけるカリフォルニア・ジャムに出演した。動員数は会場の巨大なキャパシティーから20万人とも30万人とも言われている。ライヴの模様は、当時2枚組みLPになっていたように思うが、手元にないため、その内容については未確認である。 1975年9月、「サボタージュ」がリリースされる。
Sabotage / 1975.9発売
/ Hole in the sky
/ Don't start(too late)
/ Symptom of the universe
/ Megalomania
/ Thrill of it all
/ Supertzar
/ Am I going insane(radio)
/ The writ
前作からの変革が更に進みつつあるのかどうか、アルバムの構成からも混沌とした状況が想像される。1曲ずつを捉えてみれば、冒頭のホール・イン・ザ・スカイや誇大妄想狂、そして、大作、ザ・リットのように面白いものも見受けられるが、遂に室内合唱団を導入してしまった帝王序曲など、アルバム全体を見れば、どこまで行くの・・・と、ちょっと不安にさせられるアルバムであった。比較的近視眼的な所謂一般のサバスファンの目又は耳からすれば、新たなサバスの試みは、そのアレンジや曲想からみて、楽曲の幅が広がり過ぎた感があったのである。ビル・ワードのタイツ姿もいただけなかった(笑)。マスター・オブ・リアリティーの時と同様に、マスコミ界隈では賛否両論が有り、一部では酷評されたりもした。しかし、変革というのはそのようなものである。その答は、次のスタジオ・アルバムで突きつけられたのであるが、この話しは、ちょっと脇に置いておく。サボタージュ発売後、大規模な全米ツアーを経て、この年の12月、ベスト・アルバム、「We sold our soul for rock'n' roll」が発売された。過去6作から17曲をセレクトしたアルバムである(ベスト盤については、やはりnemsからリリースされたグレイテスト・ヒッツなどとともに、このサイトには未掲載である。)。 1976年10月、「テクニカル・エクスタシー」がリリースされる。
Technical Ecstasy / 1976.9発売
/ Back street kids
/ You won't change me
/ It's alright
/ Gypsy
/ All moving parts(stand still)
/ Rock 'n' roll doctor
/ She's gone
/ Dirty women
本作を聴けば、「血まみれの安息日」以降の変革が頂点に達したものであることが理解出来る。サバスの本質である重厚なサウンドに、スピード感がありポップでもありかつドラマチックなサウンドが見事に融合してしまったのである。当然の事ながら、オルガンやシンセサイザーを中心とするキーボード群も前面に押し出され、専らギター中心のサウンドからの脱却が図られている。バックストリート・キッズにおけるギターのリフに絡み付くシンセサイザーのオブリガード、ユー・ウォント・チェンジ・ミーにおいて導入部から曲全体を支配するオルガン、そして当該オルガンと見事な対比を見せる早弾きのギターなど、このアルバムにおいて、サウンドの変革が一応完成の域に達したことは疑いがない。変革期における傑作とでもいうべきアルバムである。(一般的評価はそうではなかったようであるが、私は、よく出来たアルバムだと思う。)本作発表の頃から、オジーオズボーンの脱退が囁かれるようになる。 1977年9月、結成後10年間に渡り一度もメンバー・チェンジを行わなかったサバスにも転機が訪れ、遂にオジーオズボーンが脱退する。サヴォイ・ブラウンのボーカリストであったデイヴ・ウォーカーが代わりに加入し、オジー・オズボーンは完全にソロ活動を始める。(・・・かに見えた。デイヴ・ウォーカー's サバスは、BBCのTV番組で1度限りであるが見ることができるらしい。) 1978年1月、オジー・オズボーンが突然サバスに復帰し、ネバー・セイ・ダイが録音される。
Never Say Die / 1978.10発売
/ Never say die
/ Johnny Blade
/ Junior's eye
/ Hard road
/ Shock wave
/ Air dance
/ Over to you
/ Breakout
/ Swinging the chain
そして、アルバムは、10月にリリースされ、結成10周年目を迎えたサバスは、アメリカとイギリスで「結成10周年記念ツアー」を敢行する。シングル「ネバー・セイ・ダイ」は、典型的な3コード進行の肯定的なメッセージをもつシンプルな佳曲であったが、一方、アルバムに納められた各曲は、いずれも、やや複雑な構成を持った解りにくい曲となった。「テクニカル・エクスタシー」に見られた完成形の奥には再び異種の混沌が待ち構えていた訳である。例えば、スウィンギング・ザ・チェインにおけるハーモニカとホーンの導入は、サバスのすべての楽曲の中でも取り分け異様なものである。これは、結果から見れば、メンバー間の音楽性の確執の具現であったのかもしれない。 ところで、サバスは、ヘビー・メタルの教祖というか権化というか、まぁ、そんな扱いを受けている。ドゥームの開祖であるという話しもある。しかし、ヘビー・メタルという言葉はいつ頃使われ始めて、いつ頃定着したのであろう。とふと思って、日本盤のライナーなどを検証(というほどのものではないが?)してみると、このネバー・セイ・ダイの時期には未だヘビー・メタルという言葉は用いられていない。当時の用語は「ハード・ロック」又は「ヘビー・ロック」であった。 1979年6月、オジー・オズボーンと他の3名との音楽性の確執は頂点に達し、オジー・オズボーンが脱退した。脱退劇について、オジー・オズボーンは、ラジオにおいて、アメリカ・ツアーの最中にフラストレーションが限度に達しサバスを辞め、久し振りに幸福感を味わったというようなことを述べていたそうである。この後、オジー・オズボーンはランディー・ローズを発掘し、ブリザード・オブ・オズを経て華々しいソロ活動を始めることとなる(1979年ころには、オジー・オズボーンはソロのバンド名を"Son of Sabbathと仮称していたが、後に止めた。)。一方、この後、サバスは、アルバムを制作する都度にメンバーチェンジを繰り返すようになる。オジー・オズボーンの後を受け継ぐボーカリストは、元エルフ、レインボウのロニー・ジェームス・ディオであった。この時期になって旧来からのサバス・ファンがどのような反応を示していたのかについては何とも想像し難いが、逆に、レインボウでパワフルに歌い上げるディオの歌唱方法に魅入られたファンであれば、当該ディオとサバスとの融合に期待せずにはいられなかったであろうと思われる。1979年末までの間に、ギーザー・バトラーが脱退し、代わりに、トニー・アイオミがデビューさせたサバス系のバンドであるクォーツのジェフ・ニコルスを加入させようとしたが、すぐに、ギーザー・バトラーが復帰した。脱退・加入の原因は、ドラッグと酒であったようである。このようにして、ブラック・サバスのメンバーは、トニー・アイオミ(g)、ロニー・ジェームス・ディオ(vo)、ギーザー・バトラー(b)、ビル・ワード(dr)となり、彼らは「新生サバス」と呼ばれた。細かな加入脱退の事実はネグレクトして、制作されたアルバムを単位として考えるならば、このラインナップが第2期ブラック・サバスである。 1980年4月、第2期サバス或いは新生サバスは、「ヘブン・アンド・ヘル」をリリースした。
Heaven and Hell / 1980.4発売
/ Neon Knight
/ Children of the sea
/ Lady evil
/ Heaven and hell
/ Wishing well
/ Die young
/ Walk away
/ Lonely is the world
「ヘブン・アンド・ヘル」は、ギターのリフ主体の音作りから徐々に変化してきた成果であると捉えることもできるかもしれないし、他方、ボーカルのメロディーラインを主体とした音作りへと変貌していると捉えれば、丁度、ロニー・ジェームス・ディオがレインボウで演っていた音楽をそのままサバスに移行したような音作りであるとも言える。オジー・オズボーンのボーカルは必ずしも上手なものではなかったが、かん高いトーンと独特のフラットぎみのビブラートにより呪術的効果を醸し出していた。これに対し、ロニー・ジェームス・ディオのボーカル・スタイルは、よく訓練された発声法による視覚的な説得力があるものである。そして、新生サバスは、明らかに、このロニー・ジェームス・ディオを中心に据えた音作りを行ったのである。そして、この方法は見事に功を奏し、「ヘブン・アンド・ヘル」は一代ヒットアルバムとなった。国内盤の発売は2ヶ月ほど遅れた記憶があるが、いずれにしても、このアルバムは、ブラックサバスを再認識するに足る(或いは第1期サバスとは全く異なるバンドとしてであろうが)十分な印象をファンに与えたに違いないのである。 7月NEMSレーベルより、「ライブ・アット・ラスト」が発売された。
Live at Last / 1980.7(recording date:1973)発売
/ Tomorrow's dream
/ Sweet leaf
/ Killing yourself to live
/ Cornucopia
/ Snowbrind
/ Children of the grave
/ War pigs
/ Wicked world
/ Paranoid
「ライブ・アット・ラスト」は、先に記載したとおり、1973年のマンチェスターとロンドンにおけるライブ録音であり、録音状態が粗悪であったことを理由に発売が凍結されていたのである。しかしながら発売の権利を保有していたNEMSレーベルは、「ヘブン・アンド・ヘル」の売れ行きが順調なことを横目に見ながら商魂たくましく、メンバーの意向と裏腹に独自に販売に踏み切ってしまったのである。しかしながら、ファンの目から見れば、メンバーの意向等々に関わりなく、非常によいライブ・アルバムである。悪魔の世界におけるトニー・アイオミのプレイ、何を歌っているのか解らない生への自殺など、聴き所十分であった。この時、日本では、SMSが発売元となり、同時に、NEMSレーベルでファーストアルバムからサボタージュまでも再発された。またフォノグラムもテクニカル・エクスタシーとネバー・セイ・ダイを再発した。SMSは1枚1800円、フォノグラムは1500円であった。当時のLPの市価は1枚概ね2500円から2800円であったから、なかなか、お買い得であった(笑)。 9月、ブルー・オイスター・カルトと合同のツアーを開始。何とその名称は「ブラック・アンド・ブルー・ツアー」であった。この模様はビデオ撮影され、一般販売も行われた模様である。その後、ビル・ワードが病気(酒とドラッグでツアーができる状況になかったらしい。)により脱退。代わりにビニー・アピスが参加した。このメンバーが第3期サバスである。確認のために内訳を記述するならば、トニー・アイオミ(g)、ロニー・ジェームス・ディオ(vo)、ギーザー・バトラー(b)、ビニー・アピス(dr)の4人である。11月、第3期サバスは、初めての来日公演を果たし、東京、大阪等計6個所でライブを行った。 1981年1月、アニメ映画「ヘビー・メタル」に「悪魔の掟」を提供。8月、イギリスのストーク・オン・トレントで開催の「ヘビー・メタル・ホロコースト」に出演を予定していたが直前にキャンセル。(代わりにオジー・オズボーンが出演した。)11月、「悪魔の掟」をリリース。
Mob Rules / 1981.11発売
/ Turn up the night
/ Voodoo
/ The sign of the southern cross
/ E5-150
/ Mob rules
/ Country girl
/ Slippin' away
/ Falling off the edge of the world
/ Over and over
「悪魔の掟」は、前作「ヘブン・アンド・ヘル」でみせたボーカルライン主体の解り易いハードロック路線にサバス本来のギターのリフを主体にした重さを加えた作品が主になるアルバムであった。南十字星、ブードゥーなどを聴くと、サバス全体の歴史の中でこの時期にこのサウンドが存在することがよく理解出来るような気がする。重厚壮厳且つ狂暴な響きを持った非常に緊張感の高いアルバムであると思われたが、今一つセールスは伸びなかったようだ。「悪魔の掟」リリース後に全英ツアーを行うが、新参者であるロニー・ジェームス・ディオとビニー・アピス、そして、オリジナルメンバーであるトニー・アイオミとギーザー・バトラーの2者の間に音楽的方向性の違いによる確執が起こった。 1982年10月、ブラック・サバスのマネージャーサンディー・パールマンがヴァーティゴ・レーベルに解散声明文を提出。(直ちに解散には至らなかったが、その前兆であったことは間違いがない。)同日までにロニー・ジェームス・ディオとビニー・アピスは既に脱退。この2名は後にディオを結成する。「悪魔の掟」のツアーの模様を収めたライヴ・アルバム「ライヴ・イヴィル」のミックスダウンをトニー・アイオミとギーザー・バトラーが行う。 1983年1月、「ライヴ・イヴィル」リリース。
Live Evil / 1983.2発売
/ E5150
/ Neon knights
/ N.I.B.
/ Children of the sea
/ Voodoo
/ Brack sabbath
/ War pigs
/ Iron man
/ The mob rules
/ Heaven and hell
/ The sign of the southern cross/Heaven and hell(continued)
/ Paranoid
/ Children of the grave
/ Fluff
音質は劣悪ながら、ライヴ用に再構築された曲なども見受けられ楽しめる内容となっている。また、オジー・オズボーンの時代の楽曲を歌うロニー・ジェームス・ディオが聴けるというところもお得(笑)だ。特に「ブラック・サバス」は聴き所。「・・・悪魔が笑う」という部分の笑いあたり、なかなか役者だなぁ・・・っていう感じ。また20分近くもある、南十字星を挟んだヘブン・アンド・ヘルでは、トニー・アイオミのギター・ソロを聴くことができる。 4月、ボーカリストとしてイアン・ギランが加入し、ビル・ワードも復帰し、ニュー・アルバムのレコーディングに入る。レコーディング終了後、ビル・ワードが再び脱退した。末期的アルコール中毒が理由である。8月27日、ビル・ワードの代わりにELOのベブ・ベヴァンが参加、第23回レディング・フェスティバルの2日目のトリを務めた。ギランが、チルドレン・オブ・ザ・グレイブ、パラノイド、を歌い、トニー・アイオミがスモーク・オン・ザ・ウォーターを演奏した。10月、レコーディング・メンバーの変遷で数えると第4期にあたる、トニー・アイオミ(g)、イアン・ギラン(vo)、ギーザー・バトラー(b)、ビル・ワード(dr)の4人により制作したアルバム、「悪魔の落し子」リリース。
Born Again / 1983.10発売
/ Trushed
/ Stonehenge
/ Disturbing the priest
/ The dark
/ Zero the hero
/ Digital bitch
/ Born again
/ Hot line
/ Keep it warm
以降、サバスはメンバーの入れ替わりが激しく、簡単に第何期などと表記し難いので、気が向けば系図でも作ろうかと思う。さて、「悪魔の落し子」であるが、スピード感を強調したリフとギランのシャウトを巧みに絡ませたうねりのある音作りになっている。こうしてみると、サバスの変貌は、ボーカリストの声質を中心に据えて移行してきているのがよく解る。イアン・ギランは、「悪魔の落し子」を回顧して、「楽曲の出来はいいし、メンバーとの人間関係は上手く行っていたが、自分自身はサバスのボーカリストとしては最低だった。当然の事ながら。」という旨を述べており、また、トニー・アイオミは、当時の編成について、サバスというよりは、「ギラン・アイオミ・バトラー」のような一つのユニットとして考えていたし、「ブラック・サバス」名義で発売するつもりは、そもそもなかった旨を述べている。 1984年、イアン・ギランがディープ・パープル再結成のために脱退。代ってデビッド・ドナート(無名の新人)が参加するが、僅かの後に脱退してしまう。ブラック・サバスのボーカリスト探しは、ロス・アンジェルス界隈を中心に行われていた模様であるが、結局、暫くの間、新たなボーカリストは決まらなかった。 1985年7月13日、ライヴ・エイドにおいて、オリジナル・ブラック・サバス(トニー・アイオミ(g)、オジー・オズボーン(vo)、ギーザー・バトラー(b)、ビル・ワード(dr))が一時的に再結成される。ステージでは、チルドレン・オブ・ザ・グレイブ、アイアン・マン、パラノイドを演奏した。この後、事実上、ブラック・サバスは解散してしまった。ギーザー・バトラーは、自身のギーザー・バトラー・バンド結成に向かい、トニー・アイオミはソロアルバムの制作に向かった。 1986年、トニー・アイオミは、グレン・ヒューズ(vo)、デイヴ・スピッツ(b)、ジェフ・ニコルズ(key)、エリック・シンガー(dr)らとソロアルバムを制作した。
Seventh Star(Black Sabbath featuring Tony Iommi) / 1986.10発売
/ In for the kill
/ No stranger to love
/ Turn to stone
/ Sphinx(the guardian)
/ Seventh star
/ Danger zone
/ Heart like a wheel
/ Angry heart
/ In memory...
内容は、ポップス寄りの落ち着いたロックであり、決してヘビー・メタルではない。やや、ハードさが残るのはトニー・アイオミの音色としての特徴が留まっているに過ぎず、逆にサバスの音ではないことを意識して作られたものであるかのような印象が強い作品である。決して面白いものではないし(偏見)、ポップさも何だか中途半端な気がするが、一方、当時のサバス(ないしそのメンバー)の混沌振りが感じ取れるような作品であるとも言える。トニー・アイオミ自身は、純粋にソロ・アルバムとして制作したものであったのであるが、レコード会社の思惑により「ブラック・サバス」名義を使わざるを得ず、結局、「ブラック・サバス・フィーチャリング・トニー・アイオミ」との名義で発表された。ファンの誰もセブンス・スターをブラックサバスのアルバムとは認識していない筈であるし、製作者であるトニー・アイオミ自身も同様であるにも拘わらず、更に、ジャケット写真すら完全にソロであるにも拘わらず、「・・・フィーチャリング・・・」というマネージメントの秘密は理解不能である。なお、この裏には、ギーザー・バトラーとトニー・アイオミとの間でブラック・サバスの名称使用権に関する問題があったとのことである。 1987年。前年のセブンス・スター発表後、トニー・アイオミは、グレン・ヒューズらとともにサバス名義でワールド・ツアーを行った。アメリカ・イギリス・ヨーロッパを巡り更にアメリカをツアーする最中に突然グレンヒューズが脱退。レイ・ギラン(vo)を代役に立てツアーはなんとか終了したが、直後に、ツアーのユニットはメンバーの相次ぐ脱退(後述)により崩壊してしまった。 しかし、次作のレコーディングは2月から6月ころの間に終了していたのである。レコーディング・メンバーは、トニー・アイオミ(g)、ボブ・デイズリー(b)、エリック・シンガー(dr)、ジェフ・ニコルズ(key)、レイ・ギラン(vo)であった。しかしながら、レイ・ギランがコージー・パウエル(dr)やジョン・サイクス(g)らとブルー・マーダーを結成すべく脱退し、エリック・シンガーもゲイリー・ムーアのバンドに参加すべく脱退してしまったことから、トニー・アイオミは約4ヵ月を費やして、各トラックの細部の修正を行うとともに、新たなボーカリストを起用して、レイ・ギランのトラックをすべて差し替えてしまった。(このほか、プロデューサーのジェフ・グリックスマンがデイブ・スピッツのプレイが不満でボブ・デイズリーで録り直したという話しも伝えられている。)この新たなボーカリストがトニー・マーチンである。そしてようやく12月、「エターナル・アイドル」がリリースされた。
The Eternal Idol / 1987.12.5発売
/ The shining
/ Ancient warrior
/ Hard life to love
/ Glory ride
/ Born to lose
/ Nightmare
/ Scarlet pimpernel
/ Lost forever
/ Eternal idol
トニー・マーチンは、ロニー・ジェームス・ディオ・タイプのボーカリストであり、線は比較すればやや細いものの硬質のハイトーンを持っている。このような紆余曲折の結果完成した「エターナル・アイドル」は、バンドであるサバスの音というよりは、トニー・アイオミを中心とした一つのプロジェクトのような意味合いをもつアルバムであるといえよう。このことは、アルバムに、次のようにクレジットされていることからも明らかである。「THE PLAYER-TONY IOMMI PLAYERS-TONY MARTIN,VOCALS.GEOFF NICHOLS,KEYBOARDS.DAVE SPITZ,BOB DAISLEY,BASS.BEV BEVAN,PERCUSSION.ERIC SINGER,DRUMS.」エターナル・アイドルのツアーは間に合わせ的なメンバー構成で行われるには行われたものの、南アフリカで公演を行ったことが、同国における当時のアパルト・ヘイト政策との兼ね合いでマスコミの非難を浴びることとなり、この結果、コンサートのキャンセルが相次いだ。そして、サバスは、次作のレコーディングに入った。 1988年8月から11月にかけて次作の録音が行われた。 1989年6月、「ヘッドレス・クロス」が発売される。
Headless Cross / 1989.6.7発売
/ The gates of hell
/ Headless cross
/ Devil & daughter
/ When death calls
/ Kill in the spirit world
/ Call of the wild
/ Black moon
/ Nightwing
ここで、ドラマーにコージー・パウエルの参加が明らかとなった。コージー・パウエルがサバスに参加したとの噂は前々から流れていたものの、理由は不明ながらサバスのマネージメント筋は強硬に否定し続けていたのである。このアルバムから、ブラック・サバスは、インターナショナル・レコード・シンジケートに移籍した。トニー・マーチンのボーカル第2作となる「ヘッドレス・クロス」の他のレコーディング・メンバーは、ジェオフ・ニコルズ(key)、ローレンス・コットル(b)である。後のインタビューにおいてコージー・パウエルが、「ヘッドレス・クロスの各楽曲は、トニー・アイオミとともにトニー・マーチンのボーカルを意識して作曲した」旨を述べているように、トニー・マーチンの中域の凶暴性、突き刺すような、しかも比較的クリアーな高域が見事に伝わってくる。また、トニー・マーチンのボーカル・スタイルはロニー・ジェームス・ディオのスタイルに酷似していながら(きっと、真似して練習したのだろう?)、若干ブライトである。若さのせいだろう。逆に、ディオは最近ちょっと臭目だ(特に最新作のThe last in liveを聴く限りバンドとしては機能しておらず宴歌ショー状態である。Rainbow on satageの頃は良かった。きっと、ビッグになってエゴが強く出過ぎているのだろう。客観的にバンドの楽曲としてのバランスがとられているとは思われない。)。ヘッドレス・クロスの来日公演はベースにニール・マーレイが加わり10月に行われている。 1990年9月、「ティール」が発売された。
TYR / 1990.9.5発売
/ Anno Mundi
/ The law maker
/ Jerusalem
/ The sabbath stones
/ The battle of Tyr
/ Odin's court
/ Valhalla
/ Feels good to me
/ Heaven in black
レコーディング・メンバーは、トニー・アイオミ(g)、トニー・マーチン(vo)、ニール・マーレイ(b)、コージーパウエル(dr)、ジェオフ・ニコルズ(key)の5名。北欧神話に出てくる戦いと勝利の神ティールに関するコンセプト・アルバムである。散りばめられた曲は、重量感を伴った様式の追求という点から言えば、ロニー・ジェームス・ディオ時代の2つのアルバムの中間点あたりを狙ったものであるようにも思えるし、サバス・ストーンなどという曲名も何だか過去を引き摺った感じがしないでもない。決して悪くはないが、際立った曲があるかどうかといえば少々希薄さは残るアルバムである。トータル・コンセプトに執着した結果なのかもしれないし単にそのようになっただけなのかもしれない。冒頭のアノ・ムンディや3曲目のエルサレムなどは、1曲だけを聴くなら、よく練られたメロディーラインが耳に残る佳曲である。しかし、アルバム全体としては、少なくとも、ヘッドレス・クロスほどのインパクトは感じられなかった。 1992年7月、突然ロニー・ジェームス・ディオが加入し、「デヒューマナイザー」が発売された。
Dehumanaizer / 1992.7.8発売
/ Computer god
/ After all(the dead)
/ TV crimes
/ Letters from earth
/ Master of indsanity
/ Time machine
/ Sins of the father
/ Too late
/ I
/ Buried alive
/ Time machine(Wayne's world version)
そして、その直後に、これまでサバスに関与したメンバーのインタビューで綴るヒストリー的なビデオも発売された。これら発売直後までの間は、サバス筋からの報道は非常に肯定的なものであった。ロニー・ジェームス・ディオは、「過去の別れ方があまりにも不明瞭であった。ディオがミネソタでプレイした時に、ギーザー・バトラーが遊びに来るというのでベースを持って来るように薦めた。ギーザーは空港でベースを無くしたが、代わりのベースで一緒にプレイするといい感じだった。その後飲みながら話しをした結果、過去のわだかまりが誤りだと分かった。すぐに、昔出来無かったことをやろうという話しがまとまった。」というようなことを述べていた。この結果、便利屋的なトニー・マーチンは外され、ギーザー・バトラー(b)、ロニー・ジェームス・ディオ(vo)、トニー・アイオミ(g)、そしてロニーお抱えのヴィニー・アピス(dr)により、デヒューマナイザーが制作されたのである。ここで、あらためて振り返るならば、やはりサバスの中で少なくともこのアルバム制作の時点においてトニー・マーチンは便利屋的存在だったのである。マスコミ評に目を移せば、特に不定であるボーカリストに付いて見れば、ディオが加入すると「やっぱりディオである。」というし、トニー・マーティンが加入すれば「ディオを凌ぐ」という。しかしながら、客観的に見れば、残念ではあるが、ロニー・ジェームス・ディオのボーカルの迫力にトニー・マーティンが及ぶ理由はない。しかしながら、またまた、期待は裏切られ、アルバムを1枚制作しただけで見事にロニー・ジェームス・ディオは脱退してしまったのである。デヒューマナイザー発売と同時にツアーに出たものの、11月15日、カリフォルニアにおける、オジー・オズボーンの最後のショーの前座として出演し、更に、当該ショーのアンコールでオリジナルサバス再結成という裏話が出来上がっていたことにロニー・ジェームス・ディオが頭に来たというのが顛末らしい。考えてみれば、馬鹿な話しである。サバス側の当時のマネージメントの馬鹿さ加減が露呈しているとしかいいようがない。おかげさまで、ファンはディオのサバスがあっという間に見納め、聴き納めとなってしまったわけである。このあたりの詳細は、アルバム、クロス・パーパシスの広瀬和生氏のライナーが詳しいのでそちらを参照されたい。以下、余談であるが、シングルカットされ、MTV等でも頻繁にオンエアされたTVクライムは、ジェネシスのナーサリー・クライムからディオがパクったものとのこと。ディオ自身、サビを間違って頻繁にナーサリー・クライムと歌ってしまっていたとのことである。 1994年1月、「クロス・パーパシス」が発売された。 ラインナップは、ギーザー・バトラー(b)、トニー・マーチン(vo)、トニー・アイオミ(g)、ボビー・ロンディネリ(dr)、ジェオフ・ニコルズ(key)である。
Cross Purposes / 1994.1.26発売
/ Witness
/ Cross purposes
/ Psychophobia
/ Vircual death
/ Immaculate deception
/ Dying for love
/ Back to Eden
/ The hand that rocks the cradle
/ Cardinal sin
/ Evil eye
/ What's the use
結局のところ、サバスのボーカリストは、トニー・マーチンであったのである。トニー・マーチンは、トニー・アイオミとの愛称が非常に良いそうなのである。これは、ファンとしては認識せざるを得ない事実である。きっと、この先、幾度となくメンバーチェンジが行われても、最後は、トニー・マーチンが帰ってくるのである。今後、ヘッドレス・クロスを超えるような、インパクトのあるアルバムが発表されることに期待したいと思う。さて、本作は、疾走感を求めたせいなのか、若干音が軽くなったように思う。非常に個人的に、サバスのアルバムの中では、あまり回さない(笑)1枚である。ジャケットは艶めかしくて非常に良いのだけれどね。 1995年6月、「フォービドゥン」が発売された。パーミッションが設定されていないとかいうMesのことではない(・・・つまんねぇ)。
Forbidden / 1995.6.7発売
/ The illusion of power
/ Get a grip
/ Can't get close enough
/ Shaking off the chains
/ I won't cry for you
/ Guilty as hell
/ Sick and tired
/ Rusting angels
/ Forbidden
/ Kiss of death
/ Loser gets it all
ラインナップは、ニール・マーレイ(b)、トニー・マーチン(vo)、トニー・アイオミ(g)、コージー・パウエル(dr)、ジェオフ・ニコルズ(key)である。これは輪廻である。このアルバムは、なかなか良い出来のアルバムである。ボディーカウントのアーニー・Cのプロデュースということが、より現代的な良い方向に導いているのであろう。従来の重さに加えて、黒い霧に包み込まれたような奥深さのあるサウンドに仕上がっている。ハヤリのラッパー、アイスティーが参加した冒頭のイルージョン・オブ・パワーなど押さえるところは押さえているといった感じだ。ただし、これはメンバーの意志ではなく、マネージメントの画策であるとのこと。関係ないが、ラッシュのロール・ザ・ボーンズを思い出してしまった。それからタイトル曲であるフォービドゥン。オジー・オズボーン脱退以降のサバスの活動を清算すべき、何だか懺悔のような歌詞である。重い。このような曲が作られるという点を捉えてみれば、オリジナル・サバス以外をサバスであると認めない「変なマニア」は心を入れ替えるべきである。 1997年12月4日、イギリス、バーミンガムにおいてオリジナル・サバス復活。 1998年10月、「リユニオン」発売。
Reunion / 1998.10.28発売
/ War pigs
/ Behind the wall of sleep
/ N.I.B.
/ Fairies wear boots
/ Sweet leaf
/ Spiral architect
/ Into the void
/ Snowbrind
/ Sabbath bloody sabbath
/ Orchid/Lord of this world
/ Dirty women
/ Black sabbath
/ Iron man
/ Children of the grave
/ Paranoid
/ Psyco man
/ Selling my soul
前記復活ライヴ2日目に当たる12月5日のショーを記録したものである。遂に、オリジナル・サバスの復活である。オリジナル・サバス復活ツアー・ネタは、実は、降って沸いたものではなく、1992年のオジー・オズボーンのラスト・ショーの前後から持ち上がっていたのである。当時、オリジナル・サバス・ワールド・ツアーの予定が報じられていたほどである。しかしながら、この日まで復活することはなかった。スケジュールの都合であるとか、いろいろと報じられていたが確かなところは解らない。しかし、いずれにしても復活したのである。決して新しくならず、また錆付きもしないオリジナル・サバス・サウンドは、1970年2月13日においても、1985年年7月13日においても、1992年11月15日においても、また、1997年12月5日においても不変なのである。オリジナル・サバス以外をサバスであると認めない「変なマニア」は心を入れ替えるべきである・・・などと述べながらも、オリジナル・サバスは、確実に前言を撤回せざるを得ない迫力に満ちているのである。困ったものである。 Black Sabbath Home Page(Joe Siegler) ある言語の入門書に「車輪を発明してはならない」という言葉がある。これは、既に存在するものを作り上げることに労力を使うよりは新たなものの開発に精進すべきだという戒めだと思われるが、Joe Siegler氏のBlack Sabbath Home Pageには、入手可能と思われる客観的データのすべてが掲載されている。そのコンテンツは、1998年11月現在、次のようなものである。 Latest News,Online Store,Band Personnel,Discography & Lyrics,Tour Dates,Pictures,FAQ,Internet Mailing List,Black Sabbath Books,Concert Reviews,Interviews/Articles,Fan Clubs/Fanzines,Links,Guitar Tabs,Usenet News,Miscelleanous Stuff,Site Thanks,Site Accolades |