
| Yes暦 1980-1999 |
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− 1980 / バグルズの時代 − 1980年の初めに、ジョン・アンダーソンとリック・ウエイクマンがイエスを脱退した。シングル指向の(試行かなぁ、嗜好かも(笑))トーマトが見事に不発であったために、メンバー間に亀裂が生じていたことが発端であったようだ。この時期はユニットとしてのイエスの主導権がジョン・アンダーソンからクリス・スクワイアに移りつつあった時期であるとも伝えられている。この脱退劇の後、1980年2月頃から、残ったスティーブ・ハウ、クリス・スクワイア、アラン・ホワイトの3名による次期アルバム制作のためのセッションが始まった。イエスのマネージメントを行っていたブライアン・レーンはかなり手広く事業を行っていた模様で、「ラジオ・スターの悲劇」のヒットを飛ばしたバグルズのマネージメントも行っていた。そして、彼の紹介により、バグルズのトレヴァー・ホーンとジェフリー・ダウンズがイエスに加入した。1980年3月のことである。
加入の原因については、当時バグルズもイエスもロンドンのSARMスタジオをレコーディング等に使用しており、互いに面識があったところ、クリス・スクワイアから勧誘されたためとも伝えられている。また、トレヴァー・ホーンはそもそもイエス・ファンであったので加入の話しはあっという間にまとまったとも言われている。当時、世間のバグルスに対する認識は能天気なエレクトリック・ポップ・ユニットであり、楽曲の下品さ(笑)加減からは、どちらかといえばニュー・ウェイヴ寄りという感じであったから、イエス,バグルス両者の合体は極めて不自然なものかと思われたが、理由を後付けするなら、ラジオ・スターの悲劇のクリップに登場する調度品のようなアナログ・シンセなどから、まぁ、そうかなぁ...などと納得出来なくもない。第7期イエスのメンバーは、Trevor Horn(vo),Chris Squire(b),Alan White(dr),Steve Howe(g),Geoff Downes(key)である。(下ドラマ内ジャケットの写真参照。) この5名で、録音されたアルバムは「ドラマ」と題され、8月18日に発売された。アルバムには、すべてのトラックが5名により作曲された旨クレジットされているが、後のインタビューで、「我々2名(トレヴァーとジェオフ)が作った曲の方が彼ら(他の3名)よりイエスらしい」旨のトレヴァー・ホーンのコメントがある。因みに、モダン・レコーディングの冒険(バグルズ2nd)に収められたI am a camera(Into the lensと同じ曲)には「T.Horn,G.Downes」とのみクレジットされている。このように、ドラマ収録作品の作曲には、バグルズの2名がかなり深く関わっていたことがよく分かる。
そして、新生イエスと全盛期イエスの接点のようにロジャー・ディーン筆によるカヴァーが復活した。やはり、イエスのカヴァー・アートはロジャー・ディーンでなくてはならない。 イエスは、8月以降、ドラマの全米ツアーを敢行する。このツアーは10月20日のニュー・ヘブンまで続き、この後、11月16日のブリストルを皮切りに12月18日ロンドンまでUKツアーが行われた。このツアーの模様は、ブートに頼るしかないが、お買い得ブートThe Age of Bugglesによれば(私はブート系は詳しくないのでごめんなさい。)ラジオ・スターの悲劇を混ぜたジェオフ・ダウンズのキーボード・ソロがフィーチャーされたり、数曲の未発表曲がプレイされたりしていた模様である。また、同志、スターシップ・トゥルーパー、ラウンドアバウトといった過去の楽曲も自然に演奏されている。ラウンドアバウトでは、キーボードのタッチにリック・ウエイクマンほどの軽やかさはみられないものの、意外と細部も忠実にコピーされている上に、ストリングス系のシンセで厚みを加えるなどの試みもなされている。 さて、このバグルスがフロントマンとなったイエスのツアーであるが、客の受けが特に本家イギリスにおいて散々だったようだ。ジョン・アンダーソンが歌わないイエスをイエスと認めたくない心無い聴衆の罵倒が飛び交ったり、物が飛んだりなどということもあり、トレバー・ホーンは相当に傷心を抱いたという。そして、ツアー終了後、イエスは遂に解散してしまった。(イエスの解散時期については、1980年末との説と1981年春との説がある。まぁ、いずれにしても、この時期だ。) − 1980 / Yesshows −
しかし、一方その頃、クリス・スクワイアがライヴ・アルバムのミックスを気に入らず、一人スタジオに篭ってミックスを何度も繰り返しているという情報が流れた(確か、当時の情報では、もとのミックスはジョン・アンダーソンがやっていたんじゃなかったっけ?)。 イエス・ショウズ初版発売時の公式発表によれば、メンバーのスタジオ録音盤を先に出したいとの意向が働いたためとなっているが、イエス・ショウズの録音が1976年から1978年のものである点、ジョン・アンダーソンとリック・ウエイクマンの脱退劇などから勘繰れば、イエス内部のごたごたによって発売が前後したものであることは容易に感じ取れるところである。 Yesshows
1980年末のイエスの解散を目前にして、提示された2つのイエス。来るABWHの時代のように現実に2つのイエスが存在していたわけではないものの、当時のイエスの来ない国日本のファンの耳には、ジョン・アンダーソンの透き通ったハイトーンが虚しく響いていた。奇しくもTo Be Overの歌詞が重なる。 − 1981〜1982 / イエス不在の時代 − 1980年末にイエスが解散した後、暫くの間、イエス関連の情報は入ってこなかったような気がする。解散したっていう事実の報道すらどうだったか?この間に発売されたクラシイック・イエス。発売されたときにレコード屋さんでロジャー・ディーンの美しいジャケットを目にし、手にとって見た記憶はあるのだが、当時、コンパイル盤には一切興味がなかった上に、コレクター趣味の影すらなかったから、そのまま、棚の中に戻させていただいた。このアルバムを入手したのは、つい、最近(2000年になってから)のことだ。
Classic Yes
このアルバムの、現時点で捉えたセールス・ポイントは、2曲、すなわち、ラウンド・アバウトとオール・グッド・ピープルのライヴ録音が収録されている点に尽きるだろう。これを外して、このアルバムを聴く意味はない。ラウンド・アバウトは1978年10月7日、サンフランシスコのオークランド・コロシアムでの録音、オール・グッド・ピープルは、1978年10月28日、ロンドンの、ウエンブリー・エンパイア・プールでの録音である。当時のラウンド・アバウトは、スティーヴ・ハウの短いイントロで始まり、ほのかにダンス・ビート感覚で奇妙なノリが味わえる。エンディングもマルちゃん的にちょっと下品で更に妙ちくりん(笑)。 - 1981 / Asia -
イエスは、1980年のドラマ・ツアー後に解散したが、その後、スティーヴ・ハウとジェオフ・ダウンズは、元キング・クリムゾンのジョン・ウエットン、そして、元ELPのカール・パーマーと共に新たなユニット、エイジアを結成していたのである。 プログレな手法をポップスの中で消化したエイジアの音が一貫しているのは初期3作までであり、その後は、AOR色が加わる。また、イエス暦の中で語るとすれば、スティーヴ・ハウの在籍する初期2作までであり、更に、作品の質に拘って評価すれば第1作限りということになる。 第1作、セルフ・タイトルのエイジアは、イエス+クリムゾン+ELP=エイジアという図式にロジャー・ディーンのカヴァーアート、ポップでありながら重厚な音作り、「詠時感」という当て字、Heat of the momentのリフ、ハイハットとともに入るジョン・ウエットンのボーカル、クリアーに響き渡るOnly time will tellイントロのキーボードと、絶句するほどの「完璧」さである。1980年代の記念碑的作品。 − 1982〜1987 / トレヴァー・ラビンの加入 − 1980年末(or1981年春頃)にイエスが解散した後、1981年6月にはスティーヴ・ハウとジェオフ・ダウンズらによるエイジアが結成され、トレヴァー・ホーンは、エイジア結成前からバグルズの2ndアルバムのレコーディングに入り、その後、プロデューサー業に専念している。一方、残るクリス・スクワイアとアラン・ホワイトは1982年、南アフリカ出身のマルチ・プレイヤー、トレヴァー・ラビンを加え、ニュー・グループ「シネマ」の結成を発表している。この後の動向については、暫くの間雑誌等で取り上げられることがなかったが、1983年になって突然、シネマにジョン・アンダーソンとトニー・ケイが加わり、イエスが復活した。 再結成イエスは通算第8期に当たり、そのメンバーは、Jon Anderson(vo),Chris Squire(b),Alan White(dr),Tonny Key(org),Trevor Rabin(g)である(右9012Live裏ジャケの写真参照。)。
第8期イエスは、1983年12月、アトコ・レーベル(アトランチックの子会社)に移籍し、90125を発表、1985年12月にライヴ・ビデオ9012ライヴとともに同名のミニアルバム9012Live The solosを発表、1987年9月にBig Generatorを発表している。
90125
第8期イエスの音は、解散前のイエスとは大幅に異なる。この点は、Yesyearsで聴けるこの時期のライヴ音源のうち過去の大曲(And you anda I)などを聴くとさらにはっきりする。音像の変化は、スティーヴ・ハウからトレヴァー・ラビンへの交代による点が全てであるといってよい。1970年代の主軸ギタリストと1980年代のそれの違いは、ブルース系アドリブ・ソロ型と構築ソロ型の違い以上に、譜面的正確性に現れていると思う。早い話がラフか機械のようかの違いだ。スティーヴ・ハウは聴くからにラフ、トレヴァー・ラビンは背中に乾電池が入っているという具合である。その昔、RTFにおけるスタンリー・クラークの演奏を見たときにアンチックな機械仕掛け人形的な動きにぎょっとしたことがあったが、トレヴァー・ラビンの場合は英才教育型サイボーグという感じだ。このあたりの音像への反映が第8期イエスの全てだと思うのである。音の隙間を生かしたキメを多用するアレンジは極めてTOTO的であるように、タイトでソリッドになった反面、全体的な線はかなり細くなった。・・・つまり、再結成イエスは、過去のイエスとは全く異なるバンドだったのである。90125当事、何故シネマと名乗らなかったのか、レコード会社の策略かなどの批評もあったほどである。 しかしながら、かかる変化は、実に、見事に成功を収めた。90125から最初にシングル・カットされたオーナー・オブ・ア・ロンリー・ハートが全米1位に輝いたのである。イエス結成以来初の快挙であった。その後、アカペラを主体にしたリーヴ・イットもヒットしている。この時期は、丁度、ラジオからTVへの移行期であった。オーナー・オブ・ア・ロンリー・ハートの強烈なクリップがMTV等でヘヴィー・ローテーションされた結果である。全曲の作曲にトレヴァー・ラビンが関わり、しかも、プロデュースがトレヴァー・ホーンという鉄壁の構成は、往年のファンからすれば、ちょっと寂しい気もするが、いずれにしても、新生イエスが、新たな血によって再起できたことは疑う余地がない。殆どの曲がシングル仕様の短さであった。昔の名残は唯一、終曲ハーツみ見られるが、曲は展開するものの、大仰なオーケストレーションは影すら見あたらない。 続く9012Liveは、同時期に発売された同名のライヴ・ヴィデオからホールド・オンとチェンジズの2曲が収録され、後の数曲は、個人のソロが収録されているという凝ったミニLPであった。個人のソロ自体には大して面白みはないが、3rd発表時に一度脱退した時にあれだけオルガンに拘りを見せたトニー・ケイのシンセ・ソロ、クリス・スクワイアのフィッシュがアラン・ホワイトを加えてホワイト・フィッシュになった点などは興味深いところかもしれない。・・・当時のライヴ映像では、クリス・スクワイア氏がトレヴァー・ラビンのプレイを横目で見ながら妙に嬉しそうだった様子が目に浮かぶ。特に、スターシップ・トゥルーパーの途中ギターがソロのアルペジオに移る付近や終盤延々タッピングも混ぜてソロを弾きまくる部分など...。 ビッグ・ジェネレーターは、上に2つの写真を掲載しているが、左のライト・グリーン地に紫文字の方はLP、黄色地にピンク文字はCDである。発売は1977年であるが、世の中にCDが流通し始めたのがイエスのアルバムの発売時期に照らすと丁度この頃だったように思う。ファースト・シングルのラブ・ウイル・ファインド・ア・ウエイがそこそこ伸びたが、リズム・オブ・ラブは今ひとつ伸びなかったようだ。しかしながら、冒頭の3曲、リズム・オブ・ラブ、ビッグ・ジェネレーター、そして、シュート・ハイ・アイム・ロウは新生イエスのアンサンブルの方向性を如実に示す素晴らしい楽曲である。シングル指向の普通の曲にちょっとだけ近づいた反面、簡単に真似の出来ない閃きや瞬発力を秘めている。 − 1988〜1990 / 2つのイエス − 1988年4月、第8期イエスは、遂に来日を果たした。1973年3月、危機のツアーで来日以来、何と15年振りの来日であった。しかし、この後、再び、ジョン・アンダーソンが脱退した。脱退の理由は、商業主義に走りすぎたポップスを演じたくなかったためと伝えられている。 この頃、ビル・ブラッフォードは、というと、ロバート・フリップによるところの商業主義的再結成クリムゾンに、トニー・レヴィン、エイドリアン・ブリューとともに1981年に参加、ディシプリン、ビート、スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアをリリースした後、1984年2月、モラーツ・ブラッフォードのユニット結成を経て、1985年12月アースワークスを結成、セルフ・タイトルのアルバムを1枚発表していた。 リック・ウエイクマンは、A&Mにおいて、淡々とソロ活動を続けていた。 スティーヴ・ハウは、1984年9月、アルファ発売後にエイジアを脱退、同年12月にはスティーヴ・ハケット、マックス・ベーコンらとGTRを結成している。セルフ・タイトルのアルバム(右写真)は、ギターの可能性を追求したものとの触れ込みで、キーボードらしきパートも全部シンセ・ギター等で弾いて作られている。その後、1986年暮れにスティーヴ・ハウはネロトレンドを結成、1987年暮以降ソロ活動を始めていた。 1988年晩夏、ギリシャで気分を一新したジョン・アンダーソンは、ロンドンのスティーヴ・ハウを訪ね「音楽を作ること」について話し合った後、ビル・ブラッフォード、リック・ウエイクマンに次々と声をかけ、バンドを結成することとなった。 しかし、クリス・スクワイア、アラン・ホワイト、トニー・ケイ、トレヴァー・ラビンの4人とABWHとの間で「イエス」の名義使用権について争いがあり、結局、ABWHはイエスの名義が使用できなかった。当時、ジョン・アンダーソンは、これら両ユニットを合体したイエス・ビッグ・バンドの構想を持っていたとも報じられているが、これは、対立関係にあったクリス・スクワイアに断られた。これが実を結ぶのはもう少し後になってからのことである。 結局、1989年1月、「Anderson Brufford Wakeman Howe」名義の新ユニットが誕生した。ビル・ブラッフォードの紹介でベースはトニー・レヴィンが担当している。 これら2つのイエスのどちらがよりイエスかというと、やはりABWHに軍配を上げざるを得ない。・・・クリス・ファンとジョン・ファンで意見が分かれるのかな。でも、ABWHを欠くCATTなんてイエスと呼べないでしょう(笑)。
続くライヴは、発売こそ1993年であるが、録音は1989年9月9日のカリフォルニア・ショアライン・アンフィシアターにおけるライヴである。当該ライヴはABWH発売に伴う世界ツアーの一部である。当該ツアーは、1989年7月29日のメンフィス公演を皮切りにアメリカ全土を回り、続く10月からヨーロッパ、1990年まで続いている。1990年3月には来日も果たしている。さて、「イエス・ミュージックの夜」というタイトルには笑ってしまうが、これは、権利の問題でイエス名義が使用できないことによる苦肉の策だろう。しかし、往年の名曲、危機有り、ランドアバウト有り、燃える朝焼け有り、同志有りのイエス・ミュージックのオンパレード、しかも、同時発売のVTR(又は1999年発売のDVD)には、スターシップ・トゥルーパーやオール・グッド・ピープルまでも含め、ライヴの模様が余さず収められているので必見である。これがイエスでないわけはないのである。しかも、ロンリーハートにクラップ、魔術師マーリンまで挟み込むという強引なライヴ・ショウが正規音源で聴ける点はファン冥利に尽きると言わなければならない。危機の演奏がビル・ブラッフォードのドラムで聴ける点も見逃すわけにはいかない。こうしてみると、クリス・ファンの反発を横に置けば、相当に完璧なライヴ・アルバムということになるだろう。 さて、当該ライヴは、ABWHのほか、ミルトン・マクドナルド(rythm g)、ジュリアン・コルベック(key)、ジェフ・バーリン(b)というサポートメンバーで固められている。冒頭、客席上方から時間と言葉を歌いながらステージに向かってジョン・アンダーソンが下りて来る場面から始まる。続いて、スティーヴ・ハウ、リック・ウエイクマン、ビル・ブラッフォードと前半ソロが続くが、指先や表情、メンバーの事細かな一挙一動が鮮明・如実に画面に捉えられているので、否応なく画面に釘付けにされてしまう。リック・ウエイクマンの恐ろしく早い右手、ストラトは似合わないがダブル・カッタウェイのスタインバーガーは何故かキマるハウ師匠の鶏系の蠢き、スティックを咥えて動物的に鋭敏な感覚でパーカッションを操るブラッフォード氏の動きも見事に収録されている。しかも、オール・グッド・ピープルでは、サポートのミルトンとジュリアンにソロを回し、燃える朝焼けでは、お決まりの場面でジェフにスポットが当たるというショーの構成も憎い。また、ラウンド・アバウトで一度メンバーがステージを去り、字幕が出終わった後に、アンコールのスターシップ・トゥルーパーが始まるという映像作品としての演出も素晴らしい。さらに、アンコールの途中で、スーンと儀式を挟み聴衆に挨拶をするジョンの姿にも泣かされる。・・・という具合に、終始非の打ち所のない完璧な映像作品なのでありました。 − 1991 / UNION −
1990年初めにワールドツアーを終えたABWHは、次作のレコーディングを始めたが、その頃、本家イエスというか残党イエスというか、クリス側のイエスもレコーディングを行っていた。ヴォーカルを欠いていたクリス側イエスにジョン・アンダーソンがヴォーカルで参加を申し出たことに端を発し、8人イエスとして、一枚のアルバムを制作することで双方が合意した模様である。この点については、ジョン・アンダーソンが強引に牽引したという話もある。そこで、各曲ごとのレコーディング・メンバーを表にまとめてみると、アルバムの内容が実はほぼ完全に2分されていることが分かる。
この8人イエスは、アルバム発表直前の1991年4月から、「80日間世界1周」と称するワールド・ツアーを行っている。8人イエスの誕生は、イエスイヤーズの系譜によると1991年の春とされているので、実は、ツアー直前ということになるだろう。結成23年目にして第9期のイエス・メンバーは、Jon Anderson(vo)、Bill Bruford(dr)、Steve Howe(g)、Tony Kaye(key)、Trevor Rabin(g)、Chris Squire(b)、Rick Wakeman(key)、Alan White(dr)である(右写真YesyearsVTRの一コマ参照)。バンドにこれだけ貢献してクレジットされないTony Levinって(;_;) さて、ツアーの方は、新旧取り混ぜイエス・ワールドのオンパレード状態であり、サービス精神旺盛なものであったが、肝心の新作の音の方はというと、やはり、継ぎ足し感は否めない。冒頭I Would Have Waited Foreverのコーラスに「あっ」と言わされてユニオンの世界にのめりこむかと思われたのもつかの間、Lift Me Upのポップさ加減と中間邦楽の70年代フォーク宜しくヴォーカルがワン・センテンスだけ呼びかけ口調になる部分で一気に引いてしまう。後は、じりじりと尻すぼみ状態。最後のTake the Water to the Mountainだけちょっとイケるかなってところ。全体を通せば、ABWH派の音は、旧来のイエスらしさが微かに漂うものの、残党イエス派は極めてポップ指向。個人的には少々興ざめしてしまう程であった。イエス結成以来、初めてアルバムに烙印を押してしまった。ロジャー・ディーンの幻想的な絵画だけが虚しく映る。このような訳で、真実、結晶であったかどうかというと、どうかな、という感は否めない。後に報道されたところでは、ツアーの途中で、トレヴァー・ラビンがいごごちが悪くなりったとか。ツアー終了とともに、ハウとブラッフォードが脱退したとか。・・・顛末はこのような調子であったようだ。イエスの(往年のファンにとっての)煌びやかな日々は、この8人イエスのツアーによって、ひとまず幕を下ろした。夏の花火大会のフィナーレのように。再び蘇るかさもなくば風化してしまうか。これは神のみぞ知るところである。 − 1991 / Yestears & Yesstory − 1990年代前半は、ボックス・セットの発売が大流行だった。特に、1970年代の有名大物アーチスト達はこぞってボックスを発売した。1990年、Led Zeppelin(1969-1980)、King Crimson紅伝説(1969-1984)、1993年、Emerson Lake & Palmer-The return of the Manticore、1994年、Kansas-伝承、1995年、Tangerin Dream-Tangents(1973-1983)などである。各ボックスの内容は、いずれも、当該アーチストの活動の総決算的内容であり、ボックスという収録時間に縛られない環境のため、余裕でベスト選曲がなされている。上記のボックスの中では、タンジェリン・ドリームだけが、塾考し再編した曲順により新たな楽曲として聴かせる試みを取り混ぜた実験性の見られる音つくりをしていたが、他のボックスはそういう観点での面白みはない。しかし、いずれにしても、詳細な系譜やヒストリー、未公開写真などが掲載された豪華ブックレットを封入したボックスは、少々高い買い物であはあったが、収録された僅かなアンリリース・トラックに釣られたり、前記ブックレットに釣られたり、箱の装丁に釣られたり、果てに収集家はその存在自体に釣られたりというわけで、ファンにとっては大変盛況だったのだ。そのような流れの中、ご多分に漏れずというか商魂逞しくというか、イエスも見事に、ボックスセットを発売した。これがイエス・イヤーズである。 イエス・イヤーズの発売はユニオン発売の時には既に予告されていた。オリジナル・マスターからデジタル・リマスターが行われたのは1991年4月から5月であり、発売は8月である。手元のボックスはUS盤。パッケージのラップには「4 compact discs / 46 tracks / nearly five hours of music / new digitally remastered from the original master tapes / includes rare or previously unreleased tracks plus A 34-page,full color book with history,illustrations,rare photos and family tree.」と記載されたシールが貼られていて、客を煽っていた。これに目を惹かれて箱を裏返してみると、(previously unreleased)の文字の数々。即ゲットしてしまった次第だ。 イエスの場合、翌1992年には、イエス・ストーリーなるボックスを再編した2枚組みCDを発売し、しかもそのCDはイギリス盤とアメリカ盤で収録曲が異なり(下記データ参照)、更に、同時に3枚組みLPまでも発売するという凝り様で、収集家泣かせであった(因みに私は収集家ではないのでそんな馬鹿なものは買ってませんが(^^ゞ)。付記すると、1991年には、過去のプロモーション・ビデオ・クリップを集大成した「暦-Greatest video hits」が、10月には、イエスの歴史をメンバーのインタビューを通して振り返るビデオ「イエス・イヤーズ」が発売されている。・・・このように、1991年はイエスにとって総決算的1年だったといえる。
− 1992〜1994 / Talking about roundabout − 1992年には、ジョン・アンダーソンが喜多郎のツアーに参加し、一方、クリス・スクワイアはソロでアメリカ・ツアーを行った。7月、イエスはヴィクトリー・ミュージックとの契約を発表、その後、新作の録音が始まったが、この時のメンバーは、当初、8人イエスからビル・ブラッフォードとスティーヴ・ハウを除いた6人であると伝えられた。しかし、すぐにリック・ウエイクマンも抜けてしまった。この点については参加予定であったがスケジュールが合わなかったためとも説明されており真相は分からない。結局、第10期イエスのメンバーは、90125からビッグ・ジェネレーターの頃のイエスと同じメンバーが残ったわけだ。確認のために第10期イエスのメンバーを書き出すとJon Anderson(vo),Chris Squire(b),Alan White(dr),Tonny Key(org),Trevor Rabin(g)である。写真は、第8期イエスを参照。・・・録音は、トレヴァー・ラビンがリードし、ラビンの自宅スタジオにおいてハード・ディスク・レコーディングで行われた。この後、トレヴァー・ラビンは、1993年末頃までのおよそ16ヶ月間、ミックス・ダウン等アルバムの仕上げに没頭していたと伝えられている。 このようなわけで1993年にはイエスに目立った動きはなかった。「ライヴ1975」と題するビデオ(1975年5月10日にグリフォンらを従えたロンドンのクイーンズ・パークにおけるライヴ)と、9月にコンピレーションCD「Hightlight-The very best of Yes」、そして「Symphonic music of Yes」が発売された程度である。当時、オーケストラがロック・ミュージシャンの曲を演奏するシンフォニック・シリーズが流行していたので、その一環かと思われる。ジョン・アンダーソン、スティーヴ・ハウ、ビル・ブラッフォードが参加しているとのことだが、私は生シンフォ嫌いのため未入手(^^ゞ。 ・・・だったのだけれど、ぼちぼち(2000年10月現在)在庫が怪しいのではないかという噂も囁かれ始めたので入手してしまいました。アルバムの録音は1993年7月12日から8月9日までロンドンで行われている。スティーヴ・ハウとビル・ブラッフォードが全面参加、一部にジョン・アンダーソンも加わっている。プロダクションがスティーヴ・ハウとデヴィッド・パーマーとクレジットされていることからすると、スティーヴ・ハウのオケ趣味が発端で出来上がったアルバムなのかもしれないね。丁度、暇な時期だったようだし。エンジニアはアラン・パーソンズ。オーケストラは、ロンドン・フィルとイングリッシュ室内楽団。デヴィッド・パーマーが指揮である。オーケストレーションもデヴィッド・パーマー。そしてこのオーケストレーションがかなりの曲者なのだけど、ここで、感想を一つ・・・(^^ゞ 特に、お笑いは、ムード・フォー・ア・デイのギターに絡みつく無理をしたストリングスとロンリー・ハートの切れ味を台無しにするブラス・アレンジだ。ただ、スーンは、このアルバムの中では、割合に表情がつけられた好アレンジだった。ヴォーカル・パートに入る前の混沌とした部分から演奏が始まるところなど、ちょっと、ぞくぞくっとさせられるところがある。大仰で臭さは残るけどね。コーラスを基調としたオール・グッド・ピープルはちょっと半端かなっていうところ。ゴスペル風にアレンジするのが意図であったとしたなら、クインシー・ジョーンズのメサイアくらい派手にやらなきゃいけない。・・・というわけで、買う前に想像したとおりの音でしたとさ・・・ちゃん、ちゃん。。。収穫は、ロジャー・ディーンのカヴァー・コレクションが1枚増えたことかなぁ。
このアルバムは、イエスのメンバーによるソロ・レコーディング、イエス外のバンド、プロジェクトによる録音がコンパイルされている。affirmative-family albamシリーズの一つであり他にディープ・パープルなどのものも発売された模様である。 アルバム・カヴァーも各人のアルバムのコラージュだから、コラージュされたパーツを見てどのアルバムか言い当てるイエス・カルト・クイズができそう。因みにフラッシュはコラージュされてはいるものの収録されていません(念の為)。 さて、話は、再び、新作に戻る。・・・かくしてレコーディングされた新作は、「Talk」と題して1994年3月に発売された。
実は、トーク録音前に、トレヴァー・ラビンはスーパー・トランプのヴォーカリストであったロジャー・ホジソンとアルバムの制作をほぼ終えていたのだそうだ。そして、また、ぽしゃってしまったものの、ロジャー・ホジソンはジョン・アンダーソンに代わってイエス加入の準備もしていたらしい。そして、この録音の一つがかなりいい出来だったのでトークに収録してしまったというのが顛末らしいのだ。しかし、この点は一途なフリークからみれば公私混同も甚だしいといわざるを得ない。こんなアバみたいな曲を入れる意味がどこにあったのだろう。ツイン・ヴオーカルじゃないんだから・・・、新作のフロント・マンに非メンバーがいる曲が存在する・・・こんなアルバム他に存在するだろうか。信じられない限りである。 さて、このような身勝手な思い入れを抜きにすると、トークの収録曲の出来、これは、実は、悪くない。冒頭のコーリングは、90125、ビッグ・ジェネレーターの延長線上にあるハード・ロック指向のイエス・サウンドであり、少し大作指向が加わったかなぁという感じ。ただ音の密度は以前に比べてかなり濃くなっている。ステイト・オブ・プレイのギターのリフや緩急は数あるイエスの曲の中で最もハードかも。 ・・・このアルバムのハイライトは名実ともに7曲目のエンドレス・ドリームである。邦盤の帯には「約16分に及ぶ”危機”の続編まで」とのコピーが入り、これが、往年のイエス・ファンをかなり煽っている。 アンダーソン・ハウのコンビネーションによる危機の続編がハウ抜きのイエスに作り出せるわけがないし、曲は観念詩を用いたものでもなく全く異なるものであったが、トーク自体は、この時期の楽曲の中ではいい出来だ。曲の質感から言えば、危機というよりは、チェンジズの拡大解釈版といったところだろうか。 − 1995〜1997 / 昇天への鍵 −
キーズ・トゥ・アセンションの発売は1996年10月23日、キーズ・トゥ・アセンション2は1997年11月である。このように発売が前後した理由は不明である(何だかこのページは不明が多いなぁ・・・データがないんですすいません(^^ゞ)が、2つのアルバムに記載されたデータは同じ。すなわち、2枚ともに、前半はライヴ音源、後半はスタジオ録音音源となっており、前半のライヴ部分の録音データは前述のとおり、後半部分は、1995年秋から1996年春にかけてサン・ルイス・オビスポのイエスワールド・スタジオで録音したものということだ。録音には、ワールド・トレイドのビリー・シャーウッドが深く関わっている。ビリー・シャーウッドはトークのツアー以来イエスに同行しており、既に、半ばイエスの一員となっていたようだ。 まず、ライヴの部分、キーズ・トゥ・アセンション(1)の邦盤に添付されたライナーを信じると、フレモント・シアターのギグで披露された曲は、1と2に収録された曲が全てである。セットリストは、1)Siberian Khatru,2)Close To The Edge,3)I've Seen All Good People,4)Time And A Word,5)And You And I,6)The Revealing Science of God,7)Going For The One,8)Turn Of The Century,9)America,10)Onward,11)Awaken,12)Roundabout,13)Starship Trooperの模様。この部分の感想は、感謝感激雨霰只々目の幅涙口元弛みっぱなし状態。神の啓示と悟りの境地、そして、世紀の曲がり角が公式音源に収録されたことに対して更に輪をかけて感謝感激拝み倒し状態である。真に昇天への鍵だ。重箱の隅を突付けば、アウエイクンではリック・ウエイクマンが遊び過ぎ、スティヴ・ハウがちょい苦しいとか、神の啓示の冒頭のコーラスが不揃いだとか危機のスピードが信じられないくらい遅いとか、難点もないわけではないが、まぁ、これらのアルバムを前にして、そんな固いことを言ってはいけないのである。1990年代後期に蘇った在りし日の音を素直に感じればそれでよいのだ。 さて、スタジオ録音の部分。これは、前半のライヴを前にすると流石に影が薄い。曲目別にレビューしてもいいが、これはもう少ししてからかなぁ。キーズ1が出たときに全曲思い入れ解説を書いたのだけれど、ディスクから消えちゃったので、そのうちまた書きます。キーズ1よりはキーズ2の方が曲がよかったかなぁっていう程度。今日はここまで。 − 1997 / ビリー・シャーウッドの加入 − 1997年初夏、リック・ウエイクマンが再び脱退、ついに満を持してか、8月ビリー・シャーウッドがイエスに加入した。ビリー・シャーウッドは、ワールド・トレイドでベースとヴォーカルを担当しており、トーク・ツアー以来イエスに同行し、ライヴのサポートやミックス・ダウンなどをこなしていた。キーボードやギターもこなすマルチ・プレイヤーだということだ。Keys to ascension 2には、yes US tour dates:fall/97のリストが掲載されており、この期間は、10月13日から12月18日までであるから、この間のキーボードはビリー・シャーウッドだったのかもしれない。このメンバーチェンジによりイエスは第12期に入った。
メンバーと担当楽器は、Jon Anderson(vo),Chris Squire(b),Alan White(dr),Steve Howe(g),Billy Sherwood(g,key)である。集合写真は、CDについてないので、World Trade / EuphoriaのBilly Sherwoodの写真(右)を参照。第12期イエスによるニュー・アルバムは、1997年12月17日、発売された。ロジャー・ディーンのロゴ一発のシンプルなジャケットによる、オープン・ユア・アイズである。
アルバム全体を占めるトーンは、ポップそのものだ。トークにおけるハードロック風味に更に明解なコーラスが加わり、アレンジをシンプルにした感じ。キーボードがやや後退しツイン・ギターが前に出ているためだろう。8人イエスのシネマ路線が進化したものという印象だ。 イエス全体の流れを概括的に見ると第12期イエスの音は「タイプ4」というところ。「タイプ1」はピーター・バンクス時代の未消化サウンド、「タイプ2」は大作時代の総括、「タイプ3」はラビン時代だ。個人的には90年代後期のオルタナのチャート支配がかなり影響してこうしたサウンドの変化が引き起こされたものと考えている。一バンドとしての楽曲の構成力や纏まり具合についていえば申し分ない素晴らしい出来だと思う。 しかし、一方、イエス・サウンドとしての必然性がどうかということを殊クラシック・イエス・ファンの目で見ると厳しい。この点において、つまり、ファンの許容力によって、このアルバムの評価は完全に2分されるだろう。手元のアルバムは邦盤なのだが、終曲ソルーションの演奏時間は、イエス・オフィシャル・サイトの表記では5分25秒となっている。US盤などは、ここで終わりなんだろうか。少なくとも邦盤は5分25秒まで割と纏まった楽曲の演奏があり、その後、2〜3分の無音部分を挟んで、鳥のさえずり等のSEとアカペラ・コーラスが断続的に現れる。この構成には単純に何なんだろうという疑問を呈さずにはいられない。そのうち謎解きが行われるのかなぁ。 オープン・ユア・アイズ等の一部分は、Web上では、10月初めころから(←今一不確か)公開され、10月17日から、アルバム発売に先駆けてオープン・ユア・アイズの全米ツアーが行われている。そして、このステージには、早くもサポート・キーボーディストとしてイゴールが立っている。即ち、実質的には、既に、この時点において、自作で明らかにされる6人イエスは存在していたのである。 − 1997〜1998 / Something's Coming−
また、このアルバムには、上記のほかに、オリジナル・イエス・ロゴ・デザインがピーター・バンクスにより描かれた旨も明記されている。 この音源の最大の収穫は、スターシップ・トゥルーパーの原型が既にピーター・バンクス時代に出来上がっていたことが分かるところだ。この部分は聞いてビックリ。アルペジオ・パターンがちょっと単調ながら、見事にスターシップ・トゥルーパーそのまんまである。ディスク2の5曲目のフォー・エブリーワンである。このほか、第1期イエスの貴重なフォト、雑誌記事、ポスターなどの写真がブックレットに詰め込まれており、超お買い得な気分になる。 ここまで来ると一層のこと、海洋地形学4曲ライヴ音源とか、完全版リレイヤー・ライヴ音源だとか、エイジ・オブ・バグルズ音源だとか、せこいことしないで、纏めてどど〜っと発売して欲しいものである。
− 1999 / イゴールの加入 − イゴールは、既に、1997年10月ころからイエスのステージに立っていたが、新作のThe Ladderにおいて、遂にメンバーとしてクレジットされた。イエスは遂に、第13期を迎え、正式に6人のユニットとなった。メンバーは、Jon Anderson(vo),Chris Squire(b),Alan White(dr),Steve Howe(g),Billy Sherwood(g),Igor Khoroshev(key)である。写真はイゴールのオフィシャルサイトで見よう。ラダーは、1999年2月から5月にかけてカナダのバンクーバーで録音され、1999年9月29日に発売された。....ということはイゴールの正式加入日は、ということになるが、こればかりは曖昧なのかもしれない。ずるずるって感じなのかもね(^^) ラダーのサウンドは、基本的には、オープン・ユア・アイズの延長線上にある。これは、特に2曲目以降において顕著である。全曲とも作曲はメンバー全員とクレジットされている。しかし邪推すればというか、聴いた感じからすればというか、経験則からすればというか、まぁ、とにかく「想像するに」なのであるが、オープン・ユア・アイズもラダーも基本的にはクリス・ビリー路線の作編曲が前面に出た音作りがされているのではないかと思うのだ。ベースラインの普通っぽさというか横柄さから殊そう感じられるのだが、ただ、オープン・ユア・アイズと明らかに異なるのは冒頭のHomeworld(Ladedr)の存在感がずば抜けていることである。 ホームワールドの音作りは、地味ではあるが、バグルズ時代のマシーン・メサイア程に完成度が高く、且つ、クレジット通りメンバーの共同作業で完成されたように聴き取れるのだ。即ち、器楽演奏のバランスがよく練られており完成度が突出しているのである。逆にこの点から、アルバム全体は残念ながら尻すぼみした感じになってしまっているが、しかし、ホームワールド1曲のためだけに絞ったとしても、十分、聴く価値のあるアルバムだと思う。
なお邦盤のうち、初回盤には、限定で1997年12月のライヴ・レコーディングによるアイヴ・シーン・オール・グッド・ピープルと同志が収録されたシングルCDが添付されている。エクストラ・ヴィデオ・トラック付きのUS盤も出ているようだ。イエスもネット時代を迎えて大分商売上手になってきたようだ。まだ、同内容で、6種類のディーン・ジャケット・・・みたいな商売をしてないだけましかな(笑)。 イエスは,9月6日のリオデ・ジェネイロを皮切りに9月24日のメキシコ・シティーまで10公演のラテン・アメリカ・ツアーを行った後,ラダー発売を経て、イエスは、1999年中、イギリスとアメリカをまたにかけた1999ラダー・ツアーを行っている。北アメリカ・ツアーは,10月15日のHouse Of Bluesから12月13日のタワーシアターまで43公演,ヨーロッパ・ツアーは2000年2月6日,アイルランドのナショナル・コンサート・ホールから3月25日のブカレストまで35公演であった。 一方、日本国内では、某自動車のCMにOwner of a lonely heartが使用されるなど、ちょっとタイム・スリップした感じ(ズレてるって言った方が的確かも)の小ブレイクをみせている。そんな中、初の日本編集盤が発売された。タイトルは、「The Best of Yes 1970-1987」。過去のコンピレーション・アルバムとダブらないように編集されたものとのこと。 もし、編集意図がこれだけであれば、実にくだらない代物なのだが、日本編集盤ということでコレクター的価値は高いのかも知れない。内容は、3rdを飛ばして2ndからの収録、ラウンドアバウトも危機も入らないという偏執様。気合の入ったファンが、コンピレーションCDRとか同MDなどを作る代わりに持ち歩くには、一風志向の変わった選曲で聞きたいときに限り、向いているかもしれない。内容は以下のとおり。
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